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恋せよオトメ。浅野妙子・連載・エッセイ

去っていく足音はなぜ最初のほうしか聞こえないのか。

思い出したとしても、感情は揺らがない。
忘れてしまうのだ。
きれいさっぱり。

「足音というのはいつまでも聞こえるものではない。去っていく足音は、最初のほうしか、自分にはしない」

何について語っている文章かわかるだろうか。
山崎ナオコーラの小説、「長い終わりが始まる」の一節である。
これを読んだ時、私は「本当にそうだよなぁ……」と感じ入って、一瞬、涙が出そうになった。
恋が終わっていく時の気持ちを、あまりにもまざまざと言いあてた文章だったからだ。
私もいくたびか人と別れてきた。泣いて別れたこともある。
でも、時がたてば、耐え難いと思った痛みもいつか薄れる。
新しい人を好きになると、もう前の人のことは、遠い背景になる。
たとえば街角ですれ違うようなことがあったとしても(そういうことが無いでもなかった)、毛筋ほども気持ちは乱れない。その人と過ごした素晴らしい瞬間のいくつかは、頭の中にイメージとして残ってはいる。
でも、それを思い出したとしても、感情は揺らがない。忘れてしまうのだ。きれいさっぱり。
200905_1男の人はどうやらそうではないらしい。
一度好きになった人のことは、想い出の小箱に入れて、大事にとってあるようだ。
そして時々取り出して、悦に入っているらしい。羨ましいと思う。過去がいつでも取り出せる場所にあるなんて。
しかも、さらに羨ましいことには、多くの場合、別れた女性については、嫌な印象は消え去って美しい印象ばかりが優先的に記憶されているらしい。

女の場合、そうはいかない。少なくとも私の場合は。
つきあっている時には「愛の力」によって美化され、大きく見えていたその人の像が、別れる頃には等身大に縮まって見える。別れた後には、欠点ごと一緒に思い出される。
別れたからには、やっぱりどこかが足りなかったんだ、今の人と比べて……とすら、思うようになる。


ああ、この切ない気持は今だけなんだな。
いつかは 消えてしまうんだな。

以前読んだ川上弘美の小説には、確かこんなことが書かれていた。
(文章が正確でなくて、ごめんなさい)

「ある男を好きでいる間は、なぜ自分以外の女がその男を好きにならないのか、不思議に思える。
その男を好きでなくなると、なぜ自分がその男を好きだったのかが、不思議になる」

200905_2これもまた、その通りだ!と深く感じたが故に、記憶に残っている文章だ。
こんな経験を幾度か繰り返すうちに、私は、恋している切なさの最中に、こう思うようになった。
「ああ、この切ない気持ちは今だけなんだな。いつかは消えてしまうんだな」
だからこそ、今を大事にしよう。好きでいる今の気持ちを、と。片思いだってかまわないのだ。
人に好かれることよりも、自分が人を好きになることのほうが、ずっと有り難い、奇蹟のようなこと
なのだから。人を好きになると、心の振れ幅が大きくなり毎日が豊かになる。
たとえ等量の気持ちで好かれていなくてもいい。「好き」という自分の気持ちを、好きでいられる間だけ、充分に楽しもう。
それでも、そんなふうに相手への期待値を少なくしてつつましく考えていても、人間の関係は刻々と変わっていき、愛は時を経て終わってしまう。ドラマに出てくるような、涙ながらの華々しい別れは実際には珍しい。もっとずっとさりげない、後で振り返って、あの時の、あれがそうだったなと感じるような、そんな小さな別れに人生は満ち満ちている。
愛があれば、向かいあっている二人の人間の心は、そよ風になびく穂のように一緒に揺れているものだ。ふいに、その風が凪いでいることに、相手を目の前にして、気づいてしまう。自分の気持ちが、もうそよいでいないことを感じてしまう。
「この人とは、あと何度かは会うかもしれない。でも、たぶん、もう終わりだな」
そんなふうに思ってしまった時は、とてつもなく寂しい。そうしてたいがい、その予感はあたるのだ。
恋の終わりを決めるのは、いつだって自分自身だ。
去っていく人の足音というのは、自分の心の中からその人が消えていく時にたてるひそやかな音だ。
長く生きていると、足音が聞こえ始めた時に、その人が心の中で小さくなって、足音が聞こえなくなった時のことも想像が出来るようになる。
ああ、きっと私は、平気になってしまうんだなと思う。それが寂しい。でも、それが恋。それが人生だ。
恋を失った身に出来るのは、生きていれば何度か訪れるその瞬間を、大切に、しみじみと噛みしめるこ
となのだろう。
恋は始まりも、終わりも、どの瞬間もいとおしい。恋セヨ乙女。
そして、愛セヨ、恋ノ終ワリヲ。

(Oggi2009年5月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)




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プロフィール

'94年に『無言電話』で第7回フジテレビヤングシナリオ大賞にて佳作を受賞後、『ラブジェネレーション』( '97)や、『神様、もう少しだけ』( '98)、『大奥』( '05)、『ラスト・フレンズ』( '08)、『イノセント・ラヴ』( '08)、『八日目の蝉』( '10)、『月の恋人』( '10)など、数々の大ヒット作品の脚本を手がける。


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