TOP > 恋せよ、オトメ。 浅野妙子・連載エッセイ
なぜ、一人でいると世界が美しく見えるのか。
映画は一対一で向かい合ってこそ、
秘密の箱の蓋を開けて、
味わい深いひとときを授けてくれる。
孤独は、映画の友である。ちょうど、空腹が美食の友であるのと同じ意味で。
かれこれ二十年以上も昔、フランスに一人、暮らしていた頃、私は映画館に毎夜入り浸っていた。
帰っても誰もいない寮の小部屋にいるより、映画館にいたほうがましだったから。それどころか、そこには甘美な癒しの時間があったから。
二十二才の留学生だったその頃、私は小津安二郎の八割がたの映画を、パリの映画館でかかるそばから観尽くした。成瀬巳喜男も観た。黒澤明も溝口健二も観た。でも、一番に私がのめりこんだのは小津
の映画で……というのも、そこには私の記憶の奥底を揺さぶるような、古い日本の家が映っていたからだ。私が言うのは文字通り器としての「家」で、黒光りする柱、奥に手洗いや急な階段のある小さな廊下、障子や戸襖を必ずのように備えている。それは小津映画における人生の主要な出来事の起こる場所で、人々の姿が消えても、器としての「茶の間」はそこに残り独特の存在感を醸し出す。ホームシックの私は、家に帰るかわりに、映画館で小津映画の家に帰り、寂しさを慰めた。

果たして今の私が、あの頃夢中で観た何本もの映画を、同じようにビビッドな胸の高まりを感じつつ観られるかどうか。たぶんそうはいかないだろう。
映画との出会いは、人との出会いと同じように一期一会なのだ。観る側がその時置かれている状況、年齢、映画館の場所、空気感、そんな様々なものに左右されて、二度と無い貴重な体験となる。
映画は基本、一人で観るもの。
一対一で向かい合ってこそ、秘密の箱の蓋を開けて、味わい深いひとときを授けてくれる。
今、恋をしている人には、恋人を連れてではなく、一人で映画館に恋愛映画を観にいくことをお奨めする。いや、恋愛映画でなくたって構わない。そこにいない恋人のことを考えながら映画を観てごらんなさい。きっとそれは、恋と同じくらい、濃密で、ロマンチックで、豊かな経験になるだろう。
「私、結婚しても、ネパールに一人で行っちゃうけど、いい?」
本当にそうするつもりだった。
同じ理由で、旅もやっぱり一人旅がいい。
そして、出来れば車ではなく、電車やバスに乗っていくのがいい。車や電車の無いところは、小さな荷物を背負って、一人、歩いていく。そのほうが、その土地の空気や水、空の色と直にふれあえる。
旅の一番の醍醐味は、たとえば夕まぐれ、遠いバス停や停車駅まで一本道をとぼとぼと辿りながら、暮れていく空を眺め、鳴き始めた鳥や虫の声を聞き、地球のざらついた表面に、たった一人、放り出されている実感を噛みしめるときだ。
たとえば乗り換え駅で電車に乗り遅れて、知らない街でひとばん過ごさなければならなくなったときの、なんともいえない寂しさが私は好きだ。寂しさは風景を美しく見せてくれるから。
二十代の頃は、本当に、色々なところに行った。北海道も九州も、ユースホステルを泊まり歩いて一人、旅した。ヨーロッパにも行った(ただし貧乏旅行!)。極めつけはネパール。三週間かかって、ヒマラヤ山脈の一郭を縦走するトレッキングをやってのけたときだ。一人といっても、この時は、土地のガイドさんと荷物持ちの青年8人ほどが一緒だった。金目当てのポーターに鎌で後ろから首を切られた観光客がいる、なんていう、まことしやかな噂が流れていたが、私は気にしなかった。昼は八千メートルを超える白銀の山々を見ながら歩き、夜は彼らの奏でる音楽や歌を、テント越しに聞きながら眠るのが心地よかった。
当時、私はつきあっている男の子や、つきあいそうになる男の子に、必ず聞いた。
「私、結婚しても、ネパールに一人で行っちゃうけど、いい?」本当にそうするつもりだった。
結婚した後も平気で一人旅が出来るような、精神的な自由を確保したいと思っていた。
実際に結婚後、一人旅をしたかというと、一回もしていない。
夫に止められたわけではなく、する気力がなくなってしまったのだ。今、たとえ一人旅をしたとしても、昔感じた、地球にひとりぼっちでいるような、ひりひりと沁みる孤独感は感じることが出来ないだろう。
それがなんとも、つまらないし、ものたりない。
エッセイのタイトルが「恋せよ、オトメ。」なので、最後に、恋について少しふれようと思う。
一人旅には、「一人」と「一人」の出会いがある。いつも決まって、ではないけれど、時々、思い出したように、ある。相手は男であったり女であったり、年上だったり年下だったりするけれど、その人たちと過ごした数時間、数分間を、私は不思議と忘れていない。
今となっては顔も朧だし、名前も覚えていないけれど、その存在ははっきりと、記憶に刻まれている。とあ
る田舎町のバスのなかで、憧れの鉄道会社に就職が決まったと、目を輝かせて話していた青年。
五島列島の江島に向かうフェリーで、一緒に何時間も海を見ながら過ごした年上の独身女性。
そうした中には、恋ではないが、恋の予感が含まれる出会いもあった。人生にまれに訪れる、ささやかな、美しい瞬間があった。
旅セヨ、乙女。そして恋をせよ。
(Oggi2009年7月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)
Tweet
※この記事に関するご感想・ご意見はコメント欄にご記入ください※
※ 浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。
≫浅野さんへのメッセージはコチラ
秘密の箱の蓋を開けて、
味わい深いひとときを授けてくれる。
孤独は、映画の友である。ちょうど、空腹が美食の友であるのと同じ意味で。
かれこれ二十年以上も昔、フランスに一人、暮らしていた頃、私は映画館に毎夜入り浸っていた。
帰っても誰もいない寮の小部屋にいるより、映画館にいたほうがましだったから。それどころか、そこには甘美な癒しの時間があったから。
二十二才の留学生だったその頃、私は小津安二郎の八割がたの映画を、パリの映画館でかかるそばから観尽くした。成瀬巳喜男も観た。黒澤明も溝口健二も観た。でも、一番に私がのめりこんだのは小津
の映画で……というのも、そこには私の記憶の奥底を揺さぶるような、古い日本の家が映っていたからだ。私が言うのは文字通り器としての「家」で、黒光りする柱、奥に手洗いや急な階段のある小さな廊下、障子や戸襖を必ずのように備えている。それは小津映画における人生の主要な出来事の起こる場所で、人々の姿が消えても、器としての「茶の間」はそこに残り独特の存在感を醸し出す。ホームシックの私は、家に帰るかわりに、映画館で小津映画の家に帰り、寂しさを慰めた。

果たして今の私が、あの頃夢中で観た何本もの映画を、同じようにビビッドな胸の高まりを感じつつ観られるかどうか。たぶんそうはいかないだろう。
映画との出会いは、人との出会いと同じように一期一会なのだ。観る側がその時置かれている状況、年齢、映画館の場所、空気感、そんな様々なものに左右されて、二度と無い貴重な体験となる。
映画は基本、一人で観るもの。
一対一で向かい合ってこそ、秘密の箱の蓋を開けて、味わい深いひとときを授けてくれる。
今、恋をしている人には、恋人を連れてではなく、一人で映画館に恋愛映画を観にいくことをお奨めする。いや、恋愛映画でなくたって構わない。そこにいない恋人のことを考えながら映画を観てごらんなさい。きっとそれは、恋と同じくらい、濃密で、ロマンチックで、豊かな経験になるだろう。
「私、結婚しても、ネパールに一人で行っちゃうけど、いい?」
本当にそうするつもりだった。
同じ理由で、旅もやっぱり一人旅がいい。
そして、出来れば車ではなく、電車やバスに乗っていくのがいい。車や電車の無いところは、小さな荷物を背負って、一人、歩いていく。そのほうが、その土地の空気や水、空の色と直にふれあえる。
旅の一番の醍醐味は、たとえば夕まぐれ、遠いバス停や停車駅まで一本道をとぼとぼと辿りながら、暮れていく空を眺め、鳴き始めた鳥や虫の声を聞き、地球のざらついた表面に、たった一人、放り出されている実感を噛みしめるときだ。
たとえば乗り換え駅で電車に乗り遅れて、知らない街でひとばん過ごさなければならなくなったときの、なんともいえない寂しさが私は好きだ。寂しさは風景を美しく見せてくれるから。
二十代の頃は、本当に、色々なところに行った。北海道も九州も、ユースホステルを泊まり歩いて一人、旅した。ヨーロッパにも行った(ただし貧乏旅行!)。極めつけはネパール。三週間かかって、ヒマラヤ山脈の一郭を縦走するトレッキングをやってのけたときだ。一人といっても、この時は、土地のガイドさんと荷物持ちの青年8人ほどが一緒だった。金目当てのポーターに鎌で後ろから首を切られた観光客がいる、なんていう、まことしやかな噂が流れていたが、私は気にしなかった。昼は八千メートルを超える白銀の山々を見ながら歩き、夜は彼らの奏でる音楽や歌を、テント越しに聞きながら眠るのが心地よかった。当時、私はつきあっている男の子や、つきあいそうになる男の子に、必ず聞いた。
「私、結婚しても、ネパールに一人で行っちゃうけど、いい?」本当にそうするつもりだった。
結婚した後も平気で一人旅が出来るような、精神的な自由を確保したいと思っていた。
実際に結婚後、一人旅をしたかというと、一回もしていない。
夫に止められたわけではなく、する気力がなくなってしまったのだ。今、たとえ一人旅をしたとしても、昔感じた、地球にひとりぼっちでいるような、ひりひりと沁みる孤独感は感じることが出来ないだろう。
それがなんとも、つまらないし、ものたりない。
エッセイのタイトルが「恋せよ、オトメ。」なので、最後に、恋について少しふれようと思う。
一人旅には、「一人」と「一人」の出会いがある。いつも決まって、ではないけれど、時々、思い出したように、ある。相手は男であったり女であったり、年上だったり年下だったりするけれど、その人たちと過ごした数時間、数分間を、私は不思議と忘れていない。
今となっては顔も朧だし、名前も覚えていないけれど、その存在ははっきりと、記憶に刻まれている。とあ
る田舎町のバスのなかで、憧れの鉄道会社に就職が決まったと、目を輝かせて話していた青年。
五島列島の江島に向かうフェリーで、一緒に何時間も海を見ながら過ごした年上の独身女性。
そうした中には、恋ではないが、恋の予感が含まれる出会いもあった。人生にまれに訪れる、ささやかな、美しい瞬間があった。
旅セヨ、乙女。そして恋をせよ。
(Oggi2009年7月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)
Tweet
※この記事に関するご感想・ご意見はコメント欄にご記入ください※
※ 浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。
≫浅野さんへのメッセージはコチラ
バックナンバー
バックナンバーをすべてみる
プロフィール
![]()
'94年に『無言電話』で第7回フジテレビヤングシナリオ大賞にて佳作を受賞後、『ラブジェネレーション』( '97)や、『神様、もう少しだけ』( '98)、『大奥』( '05)、『ラスト・フレンズ』( '08)、『イノセント・ラヴ』( '08)、『八日目の蝉』( '10)、『月の恋人』( '10)など、数々の大ヒット作品の脚本を手がける。
※各記事に関するご感想・ご意見はコメント欄にご記入ください※
※浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてお送りください。
≫浅野さんへのメッセージはコチラ
