TOP > 恋せよ、オトメ。 浅野妙子・連載エッセイ
人は、なぜ人を好きになるのか(2)
ずばり。
人はヒマだから、恋をするのです。
巻頭エッセイの第一弾に、「人は、なぜ人を好きになるのか。」という表題の文章を書いた。
で、今回はその第二弾。
自分なりに、それについて思いを巡らせてみた。まずはじめに、身も蓋もない結論を言ってしまおう。
ずばり。人はヒマだから、恋をするのです。
角田光代さんの「三月の招待状」という小説がある。
三十代半ばの男女の人間模様を描いたこの作品の中に、一人の専業主婦が出てくる。
たいした恋愛もせずに結婚して、平凡な毎日にそれなりに満足して生きてきた彼女は、十何年ぶりに再会したクラスメイト(性格破綻ぎみの不良男。もと小説家)とうっかり寝てしまったことから、「遅れ」を取り戻すように激しく一方的な恋にのめりこむ。
それは本当は恋とすらいえない。男が本気でないことに彼女は薄々気付いている。
三ヶ月、相手にされないまま彼を追いかけ回したあげく、ふと熱が冷めたようになって、彼女は女友だちに、ぽつりとこう漏らす。
「私たちって、本来、圧倒的に暇なのよね。それで私、その圧倒的な暇ってものを、ものすごくこわがってたことに気づいたの」
独白は続く。
「やるべきことがあるように思うじゃない。やるべきことがなんかあるように。だれかに会ったり、どこかに行ったり。洗濯とか掃除とか夕食の支度とかね。でも、本当は、なーんにもない。暇なのよ。私、すごく暇なのよね」
学生時代も、結婚してからも、自分はその暇を埋めようと一生懸命だった。だって、自分以外の人はみんな、暇じゃないって信じてたから。
なぜだか彼女のその台詞が、私の胸には強く響いた。暇という言葉は、「虚無」という言葉に置き換えられる。人は空白な時間が生み出す自分の中の虚無を見たくないばっかりに、忙しく仕事をし、家事にかまけ、恋をし、いろんなことに夢中になっているふりをして、暇をやり過ごしてるんじゃないか。
恋ですら、暇を埋めるための自己暗示なんじゃないか……。
退屈しない年齢、退屈しない境地が
いつか私にも来るのだろうか。
実を言うと、私は退屈が怖い、極度の「ヒマ」恐怖症である。
はためには忙しそうに見えても、主観的には、すぐにヒマになってしまう人間だ。
なんで?と、不思議に思う人もいるだろう。一般的に私は他人から超多忙な人間と見られている。
子供が二人いる上に、ドラマの脚本家でもあるのだから。
でも、テレビの仕事は、忙しいときは忙しいけれど、発注を受けていない空白の期間もけっこう多い。
そんなときは、毎日毎日が、暇つぶしというスリリングな課題をこなしている感じ。
夕食のつくり置きをして、家の掃除をして、好きな本を読んで、映画のDVDを観て、それでもまだ暇があって、どうしようかと途方にくれ、仕事をどんどん入れてしまう。
仕事がある間は仕事のことを考えていればいいけれど、なくなるとすぐまた、途方にくれる。
その繰り返しだ。
だから、自分のやることに自信があって、退屈知らずで、見るからに充実している人に会うと、私はとても羨ましく感じる。こういう人は主婦の中にもいる。仕事など何も持っていないような、年配の人の中にもいる。
「あなたは今、退屈していませんか。今までの人生で、退屈して困ったことはなかったですか」という質問を、私は会う人ごとにぶつけたくなる。
私ばかりがなぜヒマをもてあましてしまうのか。これは、大人になりきれていないことと、もしかしたら関係があるのかも知れない。
たとえば、子供は大人と同じ時間を四倍の長さに感じるという説がある。
新陳代謝が活発で、同じ怪我をしても大人の四倍のスピードで治るからだそうだ。私はまだ、あるがままを受け入れることの出来ない、欲の深い、子供なのかもしれない。
私の祖母は、亡くなる前の数年間、ガンを患って母の家のひと部屋から殆ど一歩も外に出ずに過ごした。目が弱って趣味の刺繡も出来なくなり、テレビを観るくらいしかすることがない。でも、いつもとても穏やかだった。
「退屈しない?」と、私が聞くと、「そうねぇ。しないわねぇ」と微笑んでくれる顔は、気を遣ってつくった笑顔ではない、ほんものの笑顔だった。
「三月の招待状」のヒロインは最後にこう呟く。
「今、ふっと思ったの。私たち、暇ってことを、そろそろ引き受けるべきだと思うわよ」
退屈しない年齢、退屈しない境地がいつか私にも来るのだろうか。
私の住む鎌倉は、季節のうつろいがとても鮮やかに感じられる。窓をおおう木々の枝が、春から夏、夏から秋へとゆっくりと変わっていく。そんな自然のありさまを見ながら、ふと、何もないのに満ち足りている自分に気付く瞬間が、それでも、この頃は少し増えた気がする。
そういう瞬間をこれからはもっと増やしていかなければならないのだろう。でなければ逆に、あと半分もある、人生の残り時間がもったいないし。(なんて思ってるからダメなんだよね 笑)
(Oggi2009年8月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)
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人はヒマだから、恋をするのです。
巻頭エッセイの第一弾に、「人は、なぜ人を好きになるのか。」という表題の文章を書いた。
で、今回はその第二弾。
自分なりに、それについて思いを巡らせてみた。まずはじめに、身も蓋もない結論を言ってしまおう。
ずばり。人はヒマだから、恋をするのです。
角田光代さんの「三月の招待状」という小説がある。
三十代半ばの男女の人間模様を描いたこの作品の中に、一人の専業主婦が出てくる。
たいした恋愛もせずに結婚して、平凡な毎日にそれなりに満足して生きてきた彼女は、十何年ぶりに再会したクラスメイト(性格破綻ぎみの不良男。もと小説家)とうっかり寝てしまったことから、「遅れ」を取り戻すように激しく一方的な恋にのめりこむ。
それは本当は恋とすらいえない。男が本気でないことに彼女は薄々気付いている。
三ヶ月、相手にされないまま彼を追いかけ回したあげく、ふと熱が冷めたようになって、彼女は女友だちに、ぽつりとこう漏らす。
「私たちって、本来、圧倒的に暇なのよね。それで私、その圧倒的な暇ってものを、ものすごくこわがってたことに気づいたの」独白は続く。
「やるべきことがあるように思うじゃない。やるべきことがなんかあるように。だれかに会ったり、どこかに行ったり。洗濯とか掃除とか夕食の支度とかね。でも、本当は、なーんにもない。暇なのよ。私、すごく暇なのよね」
学生時代も、結婚してからも、自分はその暇を埋めようと一生懸命だった。だって、自分以外の人はみんな、暇じゃないって信じてたから。
なぜだか彼女のその台詞が、私の胸には強く響いた。暇という言葉は、「虚無」という言葉に置き換えられる。人は空白な時間が生み出す自分の中の虚無を見たくないばっかりに、忙しく仕事をし、家事にかまけ、恋をし、いろんなことに夢中になっているふりをして、暇をやり過ごしてるんじゃないか。
恋ですら、暇を埋めるための自己暗示なんじゃないか……。
退屈しない年齢、退屈しない境地が
いつか私にも来るのだろうか。
実を言うと、私は退屈が怖い、極度の「ヒマ」恐怖症である。
はためには忙しそうに見えても、主観的には、すぐにヒマになってしまう人間だ。
なんで?と、不思議に思う人もいるだろう。一般的に私は他人から超多忙な人間と見られている。
子供が二人いる上に、ドラマの脚本家でもあるのだから。
でも、テレビの仕事は、忙しいときは忙しいけれど、発注を受けていない空白の期間もけっこう多い。
そんなときは、毎日毎日が、暇つぶしというスリリングな課題をこなしている感じ。
夕食のつくり置きをして、家の掃除をして、好きな本を読んで、映画のDVDを観て、それでもまだ暇があって、どうしようかと途方にくれ、仕事をどんどん入れてしまう。
仕事がある間は仕事のことを考えていればいいけれど、なくなるとすぐまた、途方にくれる。
その繰り返しだ。
だから、自分のやることに自信があって、退屈知らずで、見るからに充実している人に会うと、私はとても羨ましく感じる。こういう人は主婦の中にもいる。仕事など何も持っていないような、年配の人の中にもいる。「あなたは今、退屈していませんか。今までの人生で、退屈して困ったことはなかったですか」という質問を、私は会う人ごとにぶつけたくなる。
私ばかりがなぜヒマをもてあましてしまうのか。これは、大人になりきれていないことと、もしかしたら関係があるのかも知れない。
たとえば、子供は大人と同じ時間を四倍の長さに感じるという説がある。
新陳代謝が活発で、同じ怪我をしても大人の四倍のスピードで治るからだそうだ。私はまだ、あるがままを受け入れることの出来ない、欲の深い、子供なのかもしれない。
私の祖母は、亡くなる前の数年間、ガンを患って母の家のひと部屋から殆ど一歩も外に出ずに過ごした。目が弱って趣味の刺繡も出来なくなり、テレビを観るくらいしかすることがない。でも、いつもとても穏やかだった。
「退屈しない?」と、私が聞くと、「そうねぇ。しないわねぇ」と微笑んでくれる顔は、気を遣ってつくった笑顔ではない、ほんものの笑顔だった。
「三月の招待状」のヒロインは最後にこう呟く。
「今、ふっと思ったの。私たち、暇ってことを、そろそろ引き受けるべきだと思うわよ」
退屈しない年齢、退屈しない境地がいつか私にも来るのだろうか。
私の住む鎌倉は、季節のうつろいがとても鮮やかに感じられる。窓をおおう木々の枝が、春から夏、夏から秋へとゆっくりと変わっていく。そんな自然のありさまを見ながら、ふと、何もないのに満ち足りている自分に気付く瞬間が、それでも、この頃は少し増えた気がする。
そういう瞬間をこれからはもっと増やしていかなければならないのだろう。でなければ逆に、あと半分もある、人生の残り時間がもったいないし。(なんて思ってるからダメなんだよね 笑)
(Oggi2009年8月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)
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プロフィール
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'94年に『無言電話』で第7回フジテレビヤングシナリオ大賞にて佳作を受賞後、『ラブジェネレーション』( '97)や、『神様、もう少しだけ』( '98)、『大奥』( '05)、『ラスト・フレンズ』( '08)、『イノセント・ラヴ』( '08)、『八日目の蝉』( '10)、『月の恋人』( '10)など、数々の大ヒット作品の脚本を手がける。
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