TOP > 恋せよ、オトメ。 浅野妙子・連載エッセイ

恋せよオトメ。浅野妙子・連載・エッセイ

人はなぜ、海のそばに住みたがるのか。

私、あんまり
海のそばの暮らしには向いてないのかも。


鎌倉に住んで十年になる。去年、市内で引っ越しをして、比較的駅に近い、山を背負った一画に移り住んだ。新居を選ぶにあたっては、海のそばに住むか、山のそばに住むかで悩んだ。鎌倉で海のそばに住もうとすると、どうしても駅からは遠くなる。車を持たない私にとっては駅からの距離は最重要事項なのだが、それでも諦めきれずに何軒か、「海見え物件」というのを回ってみた。

200911_1それでわかったことなのだが、海の見える家というのには、たいがい道路からの騒音がついて回る。
交通量の多い湾岸道路が海を取り巻いているからだ。
海が近いと、そうでなくても、塩害でものがすぐに錆びるとか、洗濯物が干せないとか、色々と難儀がつきものなのだが、私の場合はこの「音」がネックだった。

高台に行けば道路の音から逃れられる――ということで、七里ケ浜の高台の家を、見せてもらった。
車で相当な急坂を登った上にある家で、二十畳ほどある二階のリビングの、二つの掃き出しの窓からは、海が一望できる。窓の下半分が海の青だ。湾の形まで見える雄大な景色だ。

「海見え物件で、これ以上のものはありません」と、不動産屋さんは得意げだったが、私は足もとから轟く潮騒の音を聞くうち、悪酔いでもしそうな気分になってきた。ダメだ。この音を、一日中、一年中、聞いてはいられない……。私、あんまり海のそばの暮らしには向いてないのかも。

ということで、山あいの家を選んだ。
鎌倉の地形は独特で、?風のような山が放射状に海に向かっていくつも伸びている。
私の住む家も、ベランダに立つと三方が山である。南の方には、ちょうど二つの?風が立てられたように、山と山が迫って、ほんの少しだけ隙間があいている。その隙間に、2センチくらいの小さな海。
本当に天気のいい日だけ、少し光って見えるような海だ。家の後ろは崖で、緑が生い茂っている。


海は怖い。
怖いのに、なぜか惹かれる。

ここに住んで気付いたのは、音が澄んで聞こえることだった。
車通りが少ないので、道ゆく人の声、鳥や獣の声、木々の葉の葉擦れが、本当によく響く。
風が吹くと山を鳴らすようにして一斉に木が揺れる。
静けさと音のコントラストがこんなにも耳に心地よいものだとは。
視覚的な喜び以上に、聴覚の喜びは奥深い。やっぱり自分は「山派」なんだと、納得した。

200911_2ところで、私はよく海の夢を見る。
子供のときから今に至るまで繰り返し見ているのが、大きな波に呑み込まれる夢だ。
パターンは色々だ。
海水浴場で遊んでいると、大津波が水平線の向こうから聳え立つ。
城塞都市の坂道を歩いていると、坂道の下から白い波がとぐろを巻いて押し寄せてくる。
ガラス張りの旅館のロビーの、そのガラス戸いっぱいに津波が打ち寄せ、窓を破って押し入ってくる。
不思議と雨嵐の印象は無く、いつも空は明るく日は燦々と照っている。
それでもいったん呑み込まれると、体は波に囚われたままいつまでも浮かびあがらず、もう少し、もう
少しで顔が出ると、我慢しているうちにどんどん息苦しくなってくる……。

どうしてこんなに海の夢を見るのだろうか。海は怖い。怖いのに、なぜか惹かれる。
そういう美しくて怖いものを毎日毎晩、飽きるほど見て暮らしたら、どんな気分になるものなのだろう。

フロイトによれば海は人間の無意識の象徴だそうだ。
たとえばそれは、平凡な生活を送る主婦の心の奥底にあって、ある日突然噴出し、人生を根こそぎ覆してしまう無軌道な恋愛への欲望かもしれない。女なら誰でも多少はそんな欲望を持っている。恋愛ドラマを書くときに、私がガソリンにするのはまさにそれだ。ドラマを書くことは半分は夢を生きることだから、一本書き終えたときには、自分の欲望が幾分かは解消出来ている気もしている。

先日、家の前の坂道を海から遠ざかる方向に、山の上へ上へとくねくね曲がりながら登っていったら、思いがけず海を見渡せるポイントを見つけた。
めったに人も通らない林の中の道で、その林の途切れたところに、突然荒れ野が開いて海が遠くに広がっている。そこに海があるとも思えない場所に開けている海は、まるで夢の中で見る海のように現実感が無く、美しくて少し不気味な感じがした。

帰宅後、我が家のベランダから望める2センチほどの海(があるはず)の隙間を眺めたら、前とは少し違って見えた。ここからある日、海が押し寄せてこないとも限らない……そんなふうに見えた。
もしかしたら、この小さな、見えもしない海に惹きつけられて、私はここを住処に選んだのかも知れない、そんな気がしてきた。

(Oggi2009年11月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)




※この記事に関するご感想・ご意見はコメント欄にご記入ください※
※ 浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。
≫浅野さんへのメッセージはコチラ


コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 

Back Number

バックナンバーをすべて見る

バックナンバーをすべてみる
プロフィール

'94年に『無言電話』で第7回フジテレビヤングシナリオ大賞にて佳作を受賞後、『ラブジェネレーション』( '97)や、『神様、もう少しだけ』( '98)、『大奥』( '05)、『ラスト・フレンズ』( '08)、『イノセント・ラヴ』( '08)、『八日目の蝉』( '10)、『月の恋人』( '10)など、数々の大ヒット作品の脚本を手がける。


※各記事に関するご感想・ご意見はコメント欄にご記入ください※
※浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてお送りください。
≫浅野さんへのメッセージはコチラ