TOP > 恋せよ、オトメ。 浅野妙子・連載エッセイ
恋と愛の境目は、どこにあるのか。
愛と呼ぶにはあまりに純粋で、
淡くとらえどころのない何か、
愛と呼ぶしかないような何か。
近頃、年をとったせいか、「恋」ではなく、「愛」を描いた物語に心惹かれるようになった。
といっても、「人間愛」というような大きすぎる括くくりで語られる愛ではなく、私が引きつけられるのはやはり、一人の人と人、男と女が、恋と呼ぶにはあまりに純粋で、淡くとらえどころのない何か、愛と呼ぶしかないような何かで結びつけられている物語だ。
西川美和監督の「ディア・ドクター」の中には、そのような愛が見事に描かれている。
簡単に言うとこれは、僻地の無免許医師である伊野(笑福亭鶴瓶)が、末期ガンの患者である未亡人かづ子(八千草薫)を助ける話である。
その助け方が、医師が患者を助けるのならば究極的にはこうあってほしいと願いたくなるような、身を挺
して相手の人生を引き受ける、徹底した助け方なのだ。
かづ子は自分の病状を自覚しており、遠い東京で医師として働いている娘(井川遥)に迷惑をかけたくない、病気を隠し通したいと思っている。
伊野はそれを察し、「奥さんのいいようにしましょうね」と、やんわりと申し出る。
ガンで助からないことは二人ともわかっているが、決してそれを口に出さず、お腹の中で秘密を共有する。
かづ子が血を吐きながらも「先生、助けて。娘が来るの」と言うものだから、伊野は東京から帰省してきた娘に?をつき、偽の内視鏡写真まで用意してかづ子の健康を証明しようとする。
しかし、多忙な娘が、次の帰省は一年後になると診察室で話すのを聞いて、伊野の心は揺れる。
実の娘に最後まで?をつき通せるか。
それは患者にとって本当に幸せなのか。
結果的にこの迷いが端緒となって、彼は無免許医であることを世に露呈し警察に追われる身となっていくのだが、彼が医療の枠、世間の常識の枠を超えて、一人の女性を真剣に守ろうとしたことは、疑いようもなく確かなのだ。
恋愛を超えた「愛」の世界が、その彼方に広がっている。
この話はかづ子の役が年配の女性でなく男性だとしても成立はする。するけれど、面白みは半減してしまうだろう。
八千草薫さんという人は、年をとっていても、どこか仄かに、それでいて生々しく「女」を感じさせる人で(それは例えば、自宅の布団の上で浴衣越しに聴診器をあてられる彼女を、近隣の男たちが食い入るように見つめているシーンにもよく現れているのだが)、鶴瓶演じる伊野も少なからずそこに反応しているはずであり、男として女を救いたいという感情が医師としての無私の行動の底にひとすじ流れているに違いないと思わせる。
そしてそこに、物語の深みがあるのだ。
この配役は絶妙で、例えば渡哲也と吉永小百合だったら、普通のラブストーリーになってしまうし、老女役が菅井きんだったら(菅井きんさんには申し訳ないが)ただのヒューマンドラマになってしまう。
伊野役も鶴瓶だからこそ、あのいわく言いがたい淫靡なフンイキも含めて、作品になまめかしい艶やかさを添えている気がする。
海外の作品ではクリント・イーストウッドの名作「ミリオンダラー・ベイビー」が、これによく似た構図を持っている。こちらはボクシングの老コーチと、若い女性ボクサーの組み合わせだ。イーストウッド演じるコーチは、自分と同じように家族に見放された孤独な女の境遇を知り、一緒に夢を紡いでいこうとする。
女はボクサーとして花開くが、それも束の間、試合中の事故で首から下が麻痺し病院のベッドから一生起きあがれない体になってしまう。
誇り高く死にたいという女の願いを聞き入れ、コーチは生命維持装置のスイッチを切る。
恋愛めいた台詞はどこにもない。キスもセックスもないけれど、これもやはり紛れもなく男と女の物語だ。ここにあるのは厳密には恋愛感情ではない。
しかし、その一歩手前で、しっかりと絡み合い通い合っている感情がある。
一人の男が、一人の女の生を、痛みとともに丸ごと引き受けている。
「恋愛」と「愛」。
その境目は限りなく曖昧だ。高尚めいて聞こえるかもしれないが、正直言うと、私がこんな愛のかたちに惹かれるのも、いつまでも恋愛を諦めたくない未練たらしい気持ちがあるからなのだろう。
恋愛をキスやセックスに限定してしまうと、年をとるほどにそのチャンスは遠ざかる。
でも、恋愛を超えた「愛」の世界が、その彼方に広がっている。そう思いたい。
(Oggi2009年12月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)
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淡くとらえどころのない何か、
愛と呼ぶしかないような何か。
近頃、年をとったせいか、「恋」ではなく、「愛」を描いた物語に心惹かれるようになった。
といっても、「人間愛」というような大きすぎる括くくりで語られる愛ではなく、私が引きつけられるのはやはり、一人の人と人、男と女が、恋と呼ぶにはあまりに純粋で、淡くとらえどころのない何か、愛と呼ぶしかないような何かで結びつけられている物語だ。
西川美和監督の「ディア・ドクター」の中には、そのような愛が見事に描かれている。
簡単に言うとこれは、僻地の無免許医師である伊野(笑福亭鶴瓶)が、末期ガンの患者である未亡人かづ子(八千草薫)を助ける話である。その助け方が、医師が患者を助けるのならば究極的にはこうあってほしいと願いたくなるような、身を挺
して相手の人生を引き受ける、徹底した助け方なのだ。
かづ子は自分の病状を自覚しており、遠い東京で医師として働いている娘(井川遥)に迷惑をかけたくない、病気を隠し通したいと思っている。
伊野はそれを察し、「奥さんのいいようにしましょうね」と、やんわりと申し出る。
ガンで助からないことは二人ともわかっているが、決してそれを口に出さず、お腹の中で秘密を共有する。
かづ子が血を吐きながらも「先生、助けて。娘が来るの」と言うものだから、伊野は東京から帰省してきた娘に?をつき、偽の内視鏡写真まで用意してかづ子の健康を証明しようとする。
しかし、多忙な娘が、次の帰省は一年後になると診察室で話すのを聞いて、伊野の心は揺れる。
実の娘に最後まで?をつき通せるか。
それは患者にとって本当に幸せなのか。
結果的にこの迷いが端緒となって、彼は無免許医であることを世に露呈し警察に追われる身となっていくのだが、彼が医療の枠、世間の常識の枠を超えて、一人の女性を真剣に守ろうとしたことは、疑いようもなく確かなのだ。
恋愛を超えた「愛」の世界が、その彼方に広がっている。
この話はかづ子の役が年配の女性でなく男性だとしても成立はする。するけれど、面白みは半減してしまうだろう。
八千草薫さんという人は、年をとっていても、どこか仄かに、それでいて生々しく「女」を感じさせる人で(それは例えば、自宅の布団の上で浴衣越しに聴診器をあてられる彼女を、近隣の男たちが食い入るように見つめているシーンにもよく現れているのだが)、鶴瓶演じる伊野も少なからずそこに反応しているはずであり、男として女を救いたいという感情が医師としての無私の行動の底にひとすじ流れているに違いないと思わせる。
そしてそこに、物語の深みがあるのだ。
この配役は絶妙で、例えば渡哲也と吉永小百合だったら、普通のラブストーリーになってしまうし、老女役が菅井きんだったら(菅井きんさんには申し訳ないが)ただのヒューマンドラマになってしまう。
伊野役も鶴瓶だからこそ、あのいわく言いがたい淫靡なフンイキも含めて、作品になまめかしい艶やかさを添えている気がする。
海外の作品ではクリント・イーストウッドの名作「ミリオンダラー・ベイビー」が、これによく似た構図を持っている。こちらはボクシングの老コーチと、若い女性ボクサーの組み合わせだ。イーストウッド演じるコーチは、自分と同じように家族に見放された孤独な女の境遇を知り、一緒に夢を紡いでいこうとする。女はボクサーとして花開くが、それも束の間、試合中の事故で首から下が麻痺し病院のベッドから一生起きあがれない体になってしまう。
誇り高く死にたいという女の願いを聞き入れ、コーチは生命維持装置のスイッチを切る。
恋愛めいた台詞はどこにもない。キスもセックスもないけれど、これもやはり紛れもなく男と女の物語だ。ここにあるのは厳密には恋愛感情ではない。
しかし、その一歩手前で、しっかりと絡み合い通い合っている感情がある。
一人の男が、一人の女の生を、痛みとともに丸ごと引き受けている。
「恋愛」と「愛」。
その境目は限りなく曖昧だ。高尚めいて聞こえるかもしれないが、正直言うと、私がこんな愛のかたちに惹かれるのも、いつまでも恋愛を諦めたくない未練たらしい気持ちがあるからなのだろう。
恋愛をキスやセックスに限定してしまうと、年をとるほどにそのチャンスは遠ざかる。
でも、恋愛を超えた「愛」の世界が、その彼方に広がっている。そう思いたい。
(Oggi2009年12月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)
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プロフィール
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'94年に『無言電話』で第7回フジテレビヤングシナリオ大賞にて佳作を受賞後、『ラブジェネレーション』( '97)や、『神様、もう少しだけ』( '98)、『大奥』( '05)、『ラスト・フレンズ』( '08)、『イノセント・ラヴ』( '08)、『八日目の蝉』( '10)、『月の恋人』( '10)など、数々の大ヒット作品の脚本を手がける。
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