TOP > 恋せよ、オトメ。 浅野妙子・連載エッセイ
人はなぜ、片思いをするのか。
恋愛はすべからく自分勝手、ワガママなものだが、
片思いはその究極だ。
若い頃、私は片思いの達人だった。
達人というのは、片思いを実らせる達人という意味ではありません。
片思いを片思いのまま終わらせる達人、という意味です。あしからず。
ドラマといえばラブストーリーばかり描き、恋愛についてのエッセイまで書いているものだから、私のことを恋愛の達人みたいに思っている読者もいるかもしれないが、誤解の無いように言っておくと私は本当に恋愛ベタです。
女として生きてきた半生を振り返っても、相思相愛と呼べる状況になれたのは、相手が先に自分を好きになってくれて、それに自分が応えたというケースが二回だけ(そのうち一回が今の夫)。
それ以外の恋はすべて片思いである。
好きになり、勝手に思いを募らせ、告白し、玉砕するという繰り返しだった。
世の中には確かに、片思いをしない人たちというのが存在する。
ハンサムだから、美人だから、というわけではなくて、この種の人々は、サインを注意深く読みとって、自分を好きになってくれそうな相手、既に好感をもってくれている相手だけを好きになるのだ。
エンジンをムダにふかさない省エネ車のような器用な心をもっているのだ。
そういう人を心底羨ましいと思い、真似をしたいと願っても、片思い体質の人間にはなかなかそれが難しい。
少し前の話になるが、「ロンドンハーツ」という番組で、女性タレントたちがそれぞれ好きな人を想定して携帯メールを書くという企画があった。
司会者はメールを読んで採点しモテメールとブスメールに振り分けるのだが、ブスメールを連発してへこむmisono を観ていて、私は自分のことのように身につまされた。
いつだって片思いは、恋される側よりも
恋する側のほうに理由があるのだ。
彼女は「私、?がつけないんで」と、「好きだ」という自分の手の内をまず明かしてしまうのだ。
相手の反応を考えるよりも先に、自分の気持ちを知ってもらうことでラクになろうとし、そのつもりは無くとも愛情を押しつけてしまう。
私がいつも失敗してきたパターンだ。
恋愛上手の人はまずこういうことをしない。
愛情の吐露は、相手にとって時に重荷になることをよくわかっていて、常に一歩引いた思いやりを示そうとする。そして長い時間をかけて少しずつ相手の顔を自分のほうに振り向かせる。
わかってるんだよね。わかっているけど、恋愛下手の人間にはこれができない。
せっかちで、自分本位で、気持ちをいきなりぶつけてわかってもらおうとする甘チャンなところがあるからだ。
要するに、片思いというのはワガママなんである。
恋愛はすべからく自分勝手、ワガママなものだが、片思いはその究極だ。
私の男友だちにも一人、四十をとうに越して未婚の、片思いの達人がいる。
その彼が、今までに最高に愛した女性は、一時期追っかけをしていたストリッパーの××ちゃんだとのたまった。舞台は何度も観に行っている。花束も直接手渡した。その他数名のファンの男子たちと彼女をまじえ喫茶店で何度か喋った。
彼女は彼を「××さん」と名字で呼んでくれる。
でもそれだけだ。キスはおろか手を握ったこともない。
にもかかわらず、彼は自分の四十数年の人生で、彼女に捧げたほど密度の濃い強い愛情を、誰にも捧げたことがないというのだ。
「それって悲しくない?」と聞くと「ぜんぜん」と、彼は言う。
まず僕は、彼女の踊りに救われた。
舞台の彼女にはそれだけの強い力があった。だからこそ舞台を降りて素に戻ったときの彼女の寂しさ
にも心を寄せていくことができた、と。
「片思いだからこそ」あれだけ盛り上がれたんだ、と彼は言う。
そうかもしれない。現実の煩瑣なやりとりの中で薄れたりゆがんだりしていく「両思い」よりも、片思いはヌルくなることなく純度を保ち続ける。
私の見るところ、××ちゃん以前も以後も年がら年中誰かに片思いをしている彼なのだが、「恋をしているときは苦しいけれど、誰にも恋をしていないときはもっと苦しい」そうだ。
酸素の少ない水槽でアップアップしている金魚のような、魂のいきどころを失ったような息苦しさを感じるらしい。
これはちょっとわかる。人ってたぶん、恋愛したいんだと思う。
心の中に恋愛感情のわく泉があって、水かさがいっぱいになってもちこたえられなくなったとき、そばにいる誰かにむかって、それは物狂おしく噴射してしまうのだ。
誰かを好きになり、なぜほかでもなくこの人を好きになったんだろうと悩んでしまうとき、自分の中の恋の泉が暴れているんだと、私は思うことにしている。
いつだって片思いは、恋される側よりも恋する側のほうに理由があるのだ。
恋をするだけで、人は救われているんだと私は思う。
だから、好きになった人には、「ありがとう」を言わなきゃいけない。
そのくらいの謙虚さが、片思いにはちょうどいいのだ。
(Oggi2010年3月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)
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片思いはその究極だ。
若い頃、私は片思いの達人だった。
達人というのは、片思いを実らせる達人という意味ではありません。
片思いを片思いのまま終わらせる達人、という意味です。あしからず。
ドラマといえばラブストーリーばかり描き、恋愛についてのエッセイまで書いているものだから、私のことを恋愛の達人みたいに思っている読者もいるかもしれないが、誤解の無いように言っておくと私は本当に恋愛ベタです。
女として生きてきた半生を振り返っても、相思相愛と呼べる状況になれたのは、相手が先に自分を好きになってくれて、それに自分が応えたというケースが二回だけ(そのうち一回が今の夫)。
それ以外の恋はすべて片思いである。
好きになり、勝手に思いを募らせ、告白し、玉砕するという繰り返しだった。
世の中には確かに、片思いをしない人たちというのが存在する。ハンサムだから、美人だから、というわけではなくて、この種の人々は、サインを注意深く読みとって、自分を好きになってくれそうな相手、既に好感をもってくれている相手だけを好きになるのだ。
エンジンをムダにふかさない省エネ車のような器用な心をもっているのだ。
そういう人を心底羨ましいと思い、真似をしたいと願っても、片思い体質の人間にはなかなかそれが難しい。
少し前の話になるが、「ロンドンハーツ」という番組で、女性タレントたちがそれぞれ好きな人を想定して携帯メールを書くという企画があった。
司会者はメールを読んで採点しモテメールとブスメールに振り分けるのだが、ブスメールを連発してへこむmisono を観ていて、私は自分のことのように身につまされた。
いつだって片思いは、恋される側よりも
恋する側のほうに理由があるのだ。
彼女は「私、?がつけないんで」と、「好きだ」という自分の手の内をまず明かしてしまうのだ。
相手の反応を考えるよりも先に、自分の気持ちを知ってもらうことでラクになろうとし、そのつもりは無くとも愛情を押しつけてしまう。
私がいつも失敗してきたパターンだ。
恋愛上手の人はまずこういうことをしない。
愛情の吐露は、相手にとって時に重荷になることをよくわかっていて、常に一歩引いた思いやりを示そうとする。そして長い時間をかけて少しずつ相手の顔を自分のほうに振り向かせる。
わかってるんだよね。わかっているけど、恋愛下手の人間にはこれができない。
せっかちで、自分本位で、気持ちをいきなりぶつけてわかってもらおうとする甘チャンなところがあるからだ。
要するに、片思いというのはワガママなんである。
恋愛はすべからく自分勝手、ワガママなものだが、片思いはその究極だ。
私の男友だちにも一人、四十をとうに越して未婚の、片思いの達人がいる。その彼が、今までに最高に愛した女性は、一時期追っかけをしていたストリッパーの××ちゃんだとのたまった。舞台は何度も観に行っている。花束も直接手渡した。その他数名のファンの男子たちと彼女をまじえ喫茶店で何度か喋った。
彼女は彼を「××さん」と名字で呼んでくれる。
でもそれだけだ。キスはおろか手を握ったこともない。
にもかかわらず、彼は自分の四十数年の人生で、彼女に捧げたほど密度の濃い強い愛情を、誰にも捧げたことがないというのだ。
「それって悲しくない?」と聞くと「ぜんぜん」と、彼は言う。
まず僕は、彼女の踊りに救われた。
舞台の彼女にはそれだけの強い力があった。だからこそ舞台を降りて素に戻ったときの彼女の寂しさ
にも心を寄せていくことができた、と。
「片思いだからこそ」あれだけ盛り上がれたんだ、と彼は言う。
そうかもしれない。現実の煩瑣なやりとりの中で薄れたりゆがんだりしていく「両思い」よりも、片思いはヌルくなることなく純度を保ち続ける。
私の見るところ、××ちゃん以前も以後も年がら年中誰かに片思いをしている彼なのだが、「恋をしているときは苦しいけれど、誰にも恋をしていないときはもっと苦しい」そうだ。
酸素の少ない水槽でアップアップしている金魚のような、魂のいきどころを失ったような息苦しさを感じるらしい。
これはちょっとわかる。人ってたぶん、恋愛したいんだと思う。
心の中に恋愛感情のわく泉があって、水かさがいっぱいになってもちこたえられなくなったとき、そばにいる誰かにむかって、それは物狂おしく噴射してしまうのだ。
誰かを好きになり、なぜほかでもなくこの人を好きになったんだろうと悩んでしまうとき、自分の中の恋の泉が暴れているんだと、私は思うことにしている。
いつだって片思いは、恋される側よりも恋する側のほうに理由があるのだ。
恋をするだけで、人は救われているんだと私は思う。
だから、好きになった人には、「ありがとう」を言わなきゃいけない。
そのくらいの謙虚さが、片思いにはちょうどいいのだ。
(Oggi2010年3月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)
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プロフィール
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'94年に『無言電話』で第7回フジテレビヤングシナリオ大賞にて佳作を受賞後、『ラブジェネレーション』( '97)や、『神様、もう少しだけ』( '98)、『大奥』( '05)、『ラスト・フレンズ』( '08)、『イノセント・ラヴ』( '08)、『八日目の蝉』( '10)、『月の恋人』( '10)など、数々の大ヒット作品の脚本を手がける。
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