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恋せよオトメ。浅野妙子・連載・エッセイ

男はなぜ思い出を美化するのか


男は、過去の恋愛を
宝石箱に入れるようにして
ひとつひとつ大切にしている。

正確な文章を思い出せなくて申し訳ないのだけれど、
田辺聖子さんの小説中に、確かこんな一節があった。

「女の恋愛には、背景が無い。前景が一面を覆ってしまう。
 今、好きな男しか女には見えない」

この感覚は私自身の実感に重なる。
今、好きな人がすべて。
過去につきあった人、好きだった人のことは、ことごとくどうでもよくなる。
別れた人をなかなか忘れられないということは、もちろんある。
でも、それも次に好きな人が出来るまでの話。
――こういう女性は、案外多いんじゃないだろうか。

男は(私の見聞きする限りでは)全く違っている。201005_1
過去の恋愛を宝石箱に入れるようにしてひとつひとつ大切にしている。
別れた相手については良いことしか思い出さず、偶然再会でもしようものなら、仄かな恋心が甘い錯覚と共にただちに胸に蘇る。
過去に好きだった人のことは、今でもみんな好き――それが男だという気がする。
こういう男の性質は、映画や小説などにもよく顕れている。
たとえば佐藤正午の小説「Y」。
ここに登場する男性は、四十三歳で妻も子もある身でありながら、
十八年前に井の頭線の中でその立ち姿を見て恋に落ち、
たった一度、声をかけてお茶に誘っただけの女性にこだわり続ける。
その後、彼女の乗った電車が衝突事故に遭うという悲惨な運命のために、二人は二度と会えず恋も実らぬままに終わるのだが、
男のほうは、ありえたかもしれない彼女との未来を中年になってまで夢想し続けている。
そしてあろうことか、今ある自分の生活も家族も捨てて、
彼女を事故から救いもう一度、彼女との未来を紡ぐため、十八年前にタイムワープするという、小説ならではの暴挙をおかす。

記憶そのものが彼の好み通りに
変形してしまったのか。

女性の中にも過去の恋人にこだわり続ける人はいる。
けれどこんなふうに、ふたことみこと言葉を交わしただけの相手との未来を、何年も夢み続けるなんて、これはもう、男にしかありえないロマンチシズムだ。……と、私は思う。

ここで、実体験を一つ。

三十年来の仲の良い男の友人が、「ブログで小説を公開してるから、覗いてみて」と、言ってきた。
読んでみると、掌編小説のような散文がいくつも並んでいるのだが、それがほとんど彼の過去に好きになった幾人もの女性たちにまつわる物語なのだ。
驚いたことに、そのうちの一つは私との思い出をアレンジした文章だった。
彼とは恋人同士としてつきあったことは一度も無い。
ただ、同じ大学に通う学生同士、恋人未満の淡い関係が、ほんのいっとき、ないでもなかった。
フランス人の神父が講師を務める日仏学院のフランス語の授業で私たちは席を並べていたのだが、その神父がガンになり、余命幾ばくもないと聞いて、二人揃って見舞いに行ったことがある。
小説は、その時の体験を題材にしていた。
この日のことは、私もよく覚えている。
病室の息の詰まるような空気。
話題が無くて困ったこと。
苦しそうな神父さんの顔。
病室を出てから、駅までの道を、言葉少なに彼と歩いたこと。

今もそうだが、いや、子どもが生まれた今はだいぶましになったかもしれないが、私は人の生死に関する事が、どうにも身に染みない質だった。
死にゆく人に哀惜を覚え、涙するような気持ちにどうしてもなれない。
そういう自分を私は冷たいと思い、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。
すると彼が、そんな私の気持ちを察したように
「泣けないんだよね、こういうとき、あなたは」と、言った。
「わかってるんだ、俺は」 それは冷たく突き放すというよりも、『わかってるよ。まぁ、しょうがないよな』という、友達らしいあたたかみのあるニュアンスで、私はずいぶん救われた気分になったのだ。

201005_2ところが、である。
彼の小説では、ここで、連れの女の子が、「神父さん」と呟き、夕日を見ながらひとすじ涙を流すのだ! 
私は愕然とした。
事実を覚えていてあえてこういうアレンジにしたのか、
それとも、記憶そのものが彼の好み通りに変形してしまったのか。
気になりはしたが、私はあえて、問いたださないことにした。
彼の中で美化されたままでいたいなどとは毛頭思わないが、彼が三十年前の私のイメージを思い出と共に美化して楽しんでいるのなら、その喜びは壊さずにいておいてあげようという、まぁ、親心である。
親心って、こういうとき、言わないか。まあ、でも、そういう気持ちである。……男ってのは、いやはや。










(Oggi2010年5月号掲載 イラスト/大橋美由紀 本誌デザイン/十時かの子)



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プロフィール

'94年に『無言電話』で第7回フジテレビヤングシナリオ大賞にて佳作を受賞後、『ラブジェネレーション』( '97)や、『神様、もう少しだけ』( '98)、『大奥』( '05)、『ラスト・フレンズ』( '08)、『イノセント・ラヴ』( '08)、『八日目の蝉』( '10)、『月の恋人』( '10)など、数々の大ヒット作品の脚本を手がける。


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