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<title>恋せよ、オトメ。　浅野妙子・連載エッセイ</title>
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<description>恋せよ、乙女。
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<title>恋は“本当に”しないよりしたほうがましなのか</title>
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<description>人っていろいろと不純な理由で恋をするものなのだ。最近、同い年の男友達からこんな話を聞いた。二十代の頃につきあい、結婚寸前までいって破局した女性と、最近になってよりを戻したという話である。最近は、相手の職業によっては名前さえわかればネットで検索して居場所を...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-11-27T10:00:12+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<br /><em>人っていろいろと<br />不純な理由で<br />恋をするものなのだ。</em><br /><br />最近、同い年の男友達からこんな話を聞いた。<br />二十代の頃につきあい、結婚寸前までいって破局した女性と、<br />最近になってよりを戻したという話である。<br /><br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/e/1/e1220665.jpg?7467d2ae" border="0" alt="201012_1" hspace="5" width="350" height="462" align="left" />最近は、相手の職業によっては<br />名前さえわかれば<br />ネットで検索して<br />居場所を突き止めることが出来てしまう。<br />私の友人であるＡ氏はこの方法で、<br />ふと気になった昔の恋人の仕事先を探し当て、<br />彼女の職場宛に手紙を出した。<br />それがきっかけで二人は再会し、<br />その日のうちにホテルに行く仲となり、<br />三ヶ月に一度ほどのデート（ホテル付）を繰り返しているという。<br /><br />彼女が好きなの？と聞くと、彼は好きだと言う。<br />だが、恋なの？と聞くと、違うと答える。<br /><br />会いたさに胸を焦がして<br />涙するようなかつての恋とは違う。<br />それは彼女のほうもそうだろう。<br />お互いに家庭があり仕事がある。<br />生活は安定し子供たちは自立している。<br />配偶者に不満があるわけでもない。<br />ただ、お互いに<br />男であり女であることを確認する時間を、<br />自分たちは大切にしているんだと彼は言う。<br />わかる気がする。<br />まだ女であることを実感できること――<br />四十代の女にとって、とても切実な欲求だから。<br /> <br />もう一人、やはり四十を少し過ぎて、昔の彼女から連絡をもらった知人もいる。<br />まだ再会はしていないが、彼女のほうから、時々電話があるのだそうだ。<br />午前中、子供を学校に送り出して一息ついて<br />風に翻るベランダの洗濯ものを見ながら電話を掛けてくる、<br />空虚な日常の中で息を詰まらせている彼女の心のさまが、<br />電話越しに手に取るようにわかるのだと彼は言う。<br />そんなとき、女として癒されたい彼女の心をくすぐるような言葉を、<br />不器用だった若いときと違って<br />今の自分は苦もなく繰り出せるようになっている――。<br />もしも顔をあわせて会ってしまったら、どうなるかわからないと彼は話していた。<br /><br /><em>もしも結果を求めず<br />純粋に恋が出来たら、<br />もっともっと楽しかっただろうなぁ</em><br /><br />二十代の読者の皆さんは、<br />四十や五十にもなって人が恋をしたりセックスをしたりするなんて、<br />おぞましいと思っているかもしれない。<br />恋といえば唯一無二の相手に純粋に身も心もゆだねるものと思っている人は、<br />本当に好きでもない相手と、ただ「女」を実感したいがために<br />恋のまねごとをしようとする心根をズルいと思うだろう。<br />私もそう思う。<br />でも、人っていろいろと不純な理由で恋をするものなのだ。<br /> <br />Ａ氏と彼女との関係が「恋」であるかどうかは置いておいて、<br />四十代の恋に、もしも二十代の恋にない良いものがあるとすれば、<br />それは、互いへのいたわりだろう。<br />お互いに長い人生を生きてきて、「お疲れ様」と、肩をたたき合うような優しさが、<br />そこには確かにあるように思える。<br /> <br />いろいろな恋がある。<br />『恋をして恋を失った方が、一度も恋をしなかったよりましである』<img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/e/2/e2f5a994.jpg?839f6bfb" border="0" alt="201012_2" hspace="5" width="350" height="472" align="right" /><br />という、有名な格言があるけれど、<br />本当にそうだろうかと、ふと思った。<br /><br />「恋せよ、オトメ。」と題して綴ってきた<br />このエッセイの中でも、<br />私は無責任に皆さんの背中を押して、<br />恋をしなさいと励ましてきた。<br />恋は苦しくても楽しい。<br />だから恋はするものよ、と。<br />でも、そうだなぁ、自分を振り返ってみれば、<br />長く生きてきた間には、苦しいだけの恋も、<br />正直、無いわけじゃなかった。<br /> <br />それでもやっぱり、この歳になって思うことは、<br />もしも結果を求めず純粋に恋が出来たら、<br />もっともっと楽しかっただろうなぁということだ。<br />片思いで終わった相手とも、<br />いつか振り向かせたいとジリジリして<br />自分をすり減らしたり、<br />両思いになれない状態を嘆いたりせずに、<br />ただ一緒にいられることを天の恵みだと思って、<br />じっくりと感謝し味わえば良かった。<br /><br />長いようで短い人生の中で、<br />好きな人と向かい合っていられる時間なんて、<br />どっちみち、ほんのわずかなんだから。<br /> <br />今、世の中はずいぶん殺伐としてきて、<br />若い女の子たちは恋愛よりも婚活に汲々としている感じだ。<br />ちょっと周りを見回してみても、<br />結婚の見込みのない相手はバッサリ切って安定を求める人が目立つ。<br />でも本当は、すったもんだや、傷つけ合い、<br />馴れ合いの向こうに結婚があるのであって、<br />そんなに早急に答えを出そうとしてもたいていはうまくいかない。<br />結婚というカードを、これは一生に一度のカードだと身構えて<br />慎重に切ろうとするあまり足踏みしてしまうよりは、<br />思い切って足を一歩前に踏み出すほうが、かえって道は開けると、実感している。<br /> <br />人を好きになることは、人生の中で、そうざらには起きない面白いこと。<br />私はやっぱりそう思う。<br />だから、恋を大切にしよう。<br />最期の日に、後悔しないで済むように。ね、皆さん。<br /><br /><br />※この連載は今回で終了になります。長い間、ご愛読ありがとうございました！<br /><br /><span style="font-size: small;"><span style="font-size: x-small;">（Oggi2010年12月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）</span><br /><br /><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /><br /></span><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・  ご意見はコメント欄にご記入ください※<br />※浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br /><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/1028316.html">
<title>恋って、しないほうがましなのか？</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/1028316.html</link>
<description>恋愛って、本来、とってもみっともないものだと思う。「分散恋愛」という本がある。手にとって見てみた。いまどきの自立した女性が、いかに爽やかに、かっこよく、泥沼にはまらず複数の男性との恋愛を楽しむか、そのすべをハウツー的に書いたものだ。複数の、という括りが過...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-10-28T12:00:17+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<br /><em>恋愛って、本来、<br />とっても<br />みっともないものだと思う。</em><br /><br />「分散恋愛」という本がある。手にとって見てみた。<br />いまどきの自立した女性が、いかに爽やかに、かっこよく、<br />泥沼にはまらず複数の男性との恋愛を楽しむか、<br />そのすべをハウツー的に書いたものだ。<br />複数の、という括りが過激な印象を与えるが、<br />よく読むと、複数の男性との恋愛を積極的に推奨しているわけでもなくて、<br />たったひとりのすばらしい恋人にめぐりあえないでいる女性に、<br />それでも自分は恋をしているんだと思い込めるよう、<br />「お友だち」を、心の中で「恋人」に昇格してあげて、<br />自分を慰め人生に彩りを添える、上手なやり方を説いてるようにも見える。<br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/5/b/5b1ee75c.jpg?d15ffaed" border="0" alt="201011_1" hspace="5" width="400" height="272" align="left" />こんな掟がある。<br /><br />○相手を束縛してはいけない。<br />○相手に束縛されてはいけない。<br />○心と心のつながりがなくてはならない。<br /><br />こういう異性の「お友だち」がいたら、それは素敵だ。<br />でも、心と心のつながりってところが難しい。<br />自分の方はそう思っていても、相手がそう思ってくれていないこともあるからなぁ。<br />禁止事項はさらに続く。<br /><br />○相手の私生活に踏み込まない。<br />○相手を私生活に踏み込ませない。<br />○主導権を相手に握らせない。<br /> <br />待てよ。<br />これじゃ、やっぱり「お友だち」じゃないか。<br />私生活に踏み込ませない恋愛って？<br />語義矛盾じゃないのか？<br />誰との恋にものめり込まず、のめり込みそうになったらサッと身をかわし、<br />自立した女としての自分のプライドを、何よりも大事にして生きる。<br />これって本当に恋愛か？<br /> <br />恋愛って、本来、とってもみっともないものだと思う。<br />恋をして、人は恋の奴隷になる。<br />主体性を奪われる。<br />自立した大人として、相手の自由を尊重したいと念じつつ、<br />自分でも制御できない独占欲や嫉妬に駆られて泣いたり、<br />喚いたりしてしまう。時には傷つき涙で枕を濡らす。<br />でも、その心の揺れが恋愛の醍醐味であって、それがない恋なんて。<br />傷つかずに済む範囲で、自分を守って上手にする恋なんて、<br />面白くもなんともないのでは？<br /><br /><em>恋愛は人を裸にする。<br />人にプライドを<br />捨てさせるものだ。</em><br /><br /> <br />この分散恋愛の勧めは、社会学的には、「草食男子」の流行と一対をなしている。<br />よくわからないが、世の中には、傷つきたくない若い人がとても増えているらしい。<br />自分で恋愛を避けていると、意識できている人はまだいい。<br />私がうっすらと不安を覚えるのは、近頃の若い人（特に男子）の中に、<br />自分でも気がつかず無意識のうちに心の中で動く恋愛の芽を潰してしまい、<br />うまれてこのかた恋をしたことがない、<br />恋をする能力そのものすらなくしてしまっている人たちがずいぶんいるような気のすることだ。<br /> <br />このあいだテレビを見ていたら、<br />作家の渡辺淳一氏が、なかなか恋のできない若い人たちにゲキを飛ばすコーナーがあって、これがなかなか痛快だった。<br />若い男の子がおずおずと言う。<br /><br />「交際を申し込んでも、断られるんじゃないかと思うと、怖くて、女性に声がかけられないんです。<br /> 断られると僕はすごく傷ついてしまうから」<br /><br />渡辺氏は、ばっさりと言う。<br /><br />「君はそんなに自分をいい男だと思ってるのか。断られて当然なんだよ。<br /> だから、声をかけるんだよ」<br /> <br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/f/8/f8024964.jpg?348067c6" border="0" alt="201011_2" hspace="5" width="350" height="381" align="left" />神経が繊細で少しでも冷たくされたりバカにされると落ち込んで立ち直れないから、いっそ恋などしないほうがましとカラに閉じこもる新世代と、<br />恋愛なんて一勝九敗でいいんだからとにかくぶつかってみるもんだと豪語する旧世代の対比が鮮やかで面白かった。<br /> <br />七十を超えて尚、意気盛んな渡辺氏。<br />氏の小説はエロ過ぎてなかなか手にとれない私だけれど、<br />若い人への強気なアドバイスには共感できた。<br /> <br />恋愛は人を裸にする。人にプライドを捨てさせるものだと、私は思う。<br />その結果、報われずとも相手のためを思い、<br />無償で相手に尽くすというかたちを取ることもある。<br />そこまでいかないにしても、<br />恋愛のさなかには、愛する対象に向かってわけもわからず捨て身で<br />自分を投げかけていく感覚がある。<br />そのとき、人の心は自由になる。<br />爽やかにもなる。<br />小さなプライドにしがみついて守ろうとする心の自由より、ずっと大きな自由を得る。<br /> <br />恋はしてみるものです、やっぱり。<br />それもうんとみっともなくて、恥ずかしい恋を。<br /><br /><span style="font-size: small;"><span style="font-size: x-small;">（Oggi2010年11月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）</span><br /><br /><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /></span><span style="font-size: small;"><strong><br />※この記事に関するご感想・  ご意見はコメント欄にご記入ください※<br />※浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br /><br /><br />
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3865109&name=taeko_asano&pid=1028316" width="1" height="1" />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/756215.html">
<title>男はなぜ、 「同志愛」が好きなのか。</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/756215.html</link>
<description>私にとっては、ワールドカップにも劣らぬ激しい消耗戦だった。六月に開幕したワールド・カップ。日本中が熱狂した試合の数々を、私も自宅のテレビで手に汗にぎって見つめていた。どん底の状態から出発した日本代表が、初戦に勝利を収め、一試合ごとに次第に結束しチームとし...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-09-28T11:00:08+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<em>私にとっては、ワールドカップにも劣らぬ<br />激しい消耗戦だった。<br /></em><br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/9/e/9ec245d3.jpg" border="0" alt="201010_1" hspace="5" width="400" height="347" align="left" />六月に開幕したワールド・カップ。<br />日本中が熱狂した試合の数々を、<br />私も自宅のテレビで<br />手に汗にぎって見つめていた。<br /><br />どん底の状態から出発した日本代表が、初戦に勝利を収め、<br />一試合ごとに次第に結束し<br />チームとして成長していく様は、<br />まるでドラマを見ているみたい。<br />最後のパラグアイ戦後、<br />試合後に泣いて肩を抱き、<br />互いの健闘を讚え合う選手たちの姿に、もらい泣きした人も数多くいたと思う。<br /><br /><br /><br /> <br />そして、私が脚本を担当した『月の恋人』も、<br />ちょうどパラグアイ戦の直後の七月一日にクランクアップした。<br />私にとっては、ワールドカップにも劣らぬ激しい消耗戦だった。<br /> <br />今回の月９を久々に担当して私が感じたのは、<br />これは、私個人の作品ではさらさらなくて、<br />チーム木村拓哉のプロジェクトＸだ！ということだった。<br /><br />そもそも、設定からして自分の自由にはならない。<br />今のテレビ局は広告収入が減ったせいか、<br />視聴率の取れる数少ないスターに対しては、とても低姿勢になっている。<br />こんな企画でいかがでしょうかと、企画書を書いてお伺いを立て、<br />何度もダメ出しをされてから、やっとスタートするのである。<br /><br />『月の恋人』は、第一話を形にするのに三、四ヶ月かかっているのだが、<br />スタートしてからも中盤にさしかかると、俳優陣から様々な注文が入り始めた。<br />これは中傷でも愚痴でもなく事実として述べているのだが、<br />キャストが強い＝お願いして出演してもらっている＝言うことをきかなきゃいけない、<br />という構造がある。<br /><br />キャストの意見がすべて的外れかというとそうでもなくて、けっこう鋭いところを突いてきたり、<br />プロデューサーやディレクターが極端な方向に走るのを軌道修正して結果的に私を助けてくれたり&hellip;<br />&hellip;ということもあるのだが、毎回、意見を吸い上げるとなると<br />どうしても台本づくりに時間がかかる。<br />出演者の間で脚本に望む方向性が対立してしまったときには<br />その調整もしなければならない。<br />そんなこんなで、私が直しをやっている間に、<br />次の回のプロットを新人の脚本家さんたちに先回りして考えてもらい時間を節約することになった。<br />脚本家チームの結成である。<br /><br /><em>自分がシュートを打てないときは、パスを出す。<br />全体の利益のために「個」を捨てる。<br />それが時にたまらない快感であることに、私は気づいてしまった。<br /></em><br /><br />チームでの仕事は、私には初めての経験だった。<br />今回はプロデューサーも二人、監督が三人、<br />脚本家チームは私の他に、新進の女性作家が二人と<br />経済や法律専門の男性が一人という大所帯になった。<br /><br />ハリウッドあたりの連続ドラマではこういうやり方が主流かもしれないが、<br />「個」で勝負している脚本家にとってこれは本来、あまり好ましいシステムとは言えない。<br />でも、時間が無いのだから手分けしてやるしかない。<br />この人数がテーブルに顔を揃え、合議する。<br />昼の二時に始まった会議が、夜の二時まで続くこともある。<br />みんな疲労困憊する。<br /> <br />初回と最終回を担当した西谷弘はフジテレビきってのスター監督でその演出力には定評がある。<br />ＮＨＫのプロジェクトＸなら「ここで、西谷が招集された♪♪～」と、<br />田口トモロヲさんのナレーションが入るところだ。<br />でも、ものすごく頑固で自分の意見をなかなか変えない人だ。<br />はじめのうちは遠慮していた新人さんたちも、会議を重ねるうちに段々と自分の意見を言うようになる。<br />プロデューサーふたりの意見も必ずしも一致しない。<br /> <br />モメにモメる。<br />ケンカする。<br />ストレスが溜まりまくる。<br />でも、議論が煮詰まったとき、誰かのアイデアで、すっと地平が開けることもある。<br />たとえば新人の意見を謙虚に聞くことでドラマが良いものになったりする。<br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/c/b/cb5d7faa.jpg" border="0" alt="201010_2" hspace="5" width="450" height="362" align="left" /><br /> <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />自分がシュートを打てないときは、パスを出す。<br />全体の利益のために「個」を捨てる。<br />それが時にたまらない快感であることに、私は気づいてしまった。<br />日本中がテレビに釘付けになっていたカメルーン戦の夜、<br />私たちはフジテレビの社内の人々がサッカー観戦しつつあげる歓声や雄叫びを聞きながら、<br />会議室にこもりきりで打ち合わせを続けた。<br />そして朝になって最終話を脱稿する頃には、<br />まるで一試合をフルに戦ったイレブンのような、和気藹々とした一体感に包まれていたのである。<br /> <br />そうか、これなんだな、男の人が好きなのって。<br />男ってみんな、よほど特殊な人をのぞいては社会の中でチームで生きてるんだもんな。<br />ワールドカップに燃えるわけだよな。<br />『ＲＯＯＫＩＥＳ』が好きなわけだよな。<br /> <br />というわけで、このトシで思いもよらず社会勉強をさせてもらいました。<br />それはそれでけっこう楽しかったけど&hellip;&hellip;<br />やっぱり脚本は、人に文句を言われずに、自由に、わがままに書きたいものです。<br /><br /><br /><span style="font-size: small;"><span style="font-size: x-small;">（Oggi2010年10月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /><strong>※この記事に関するご感想・  ご意見はコメント欄にご記入ください※<br />※浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/591798.html">
<title>「無縁死」とは何か。</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/591798.html</link>
<description>自分の死を「孤独で寂しい死」と捉えれば、それは「無縁死」になりうるが、そう捉えなければ、そうではない。ＮＨＫのドキュメンタリーで「無縁死」という現象が取り上げられ、大反響を呼んだという。番組では、家族も友人もなく孤独に死に、無縁仏として葬られた人たち、あ...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-08-28T00:00:10+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<br /><em>自分の死を「孤独で寂しい死」と捉えれば、<br />それは「無縁死」になりうるが、<br />そう捉えなければ、そうではない。<br /></em><br />ＮＨＫのドキュメンタリーで「無縁死」という現象が取り上げられ、大反響を呼んだという。<br />番組では、家族も友人もなく孤独に死に、無縁仏として葬られた人たち、<br />あるいはそんな最期を予期して怯える人たちの人生がクローズアップされていた。<br />すると、三十代、四十代のまだ若い世代が「無縁死」というキーワードに敏感に反応した。<br />日本では、この世代に独身者が圧倒的に増えている。<br />親が死ねば一人になってしまう。<br />血縁、地縁から切り離されて、都会の片隅でたった一人、死を迎える人の姿が「他人ごとじゃない」と、<br />深刻に受け止められたのだ。<br /><br /> <br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/9/4/946ff145.jpg" border="0" alt="201009_1" hspace="5" width="400" height="289" align="left" />私の周りにも、アラフォー、アラフィフの独身者は大勢いる。<br />そういう人たちに、無縁死について聞いてみると、意外にも数人から、<br />「そんなのあたりまえ。別に恐くない」という答えが返ってきた。<br /> <br />たとえば私の友人に、六十代で書道家のリョーコさんという人がいる。<br />彼女は一度は結婚しているのだが、三十才の時に事故で夫に死なれ、生まれたばかりの子供にも病気で死なれた。<br />以来、独身。<br /><br /><br /><br />というと寂しすぎる人生に聞こえるけれど、本人に全然そんな影はない。<br />いつ会っても、自然体で、明るく、恬淡としている。<br />両親は既に亡い。<br />友人が何人かいる。<br />五年越しの恋人がいるが、海外に住んでいて、会うのは三ヶ月に一度程度。<br />彼も独身だが、根っからの風来坊タイプで、二人の間に将来の話は全く出ない。<br />彼女はそれを良しとしている。<br />相手を縛る気も頼る気もないし、今のままが気楽でいい。<br />好きなことはやってきたし、いつ死んでもいい。<br />――そんなふうに言うのだ。<br /><br /><br /><em>近所の人が朝、自分に挨拶してくれる、<br />その気持ちの中にも愛はある。</em><br /><br />実際、数年前インドネシアで大津波があった時、彼女はマレーシアの海岸のホテルに滞在していて、<br />何日か連絡が取れず、周囲を冷や冷やさせた。<br />私も心配したのだが、一月後に帰ってきて<br />「それで死んじゃったら、それはそれでしょう」と、ケロッとしていた。<br />そんな彼女の顔を見ていると、「無縁死」っていうのは、実に主観的な言葉だなとすら思えてきた。<br />つまり、人が予期される自分の死を、「孤独で寂しい死」と捉えれば、それは「無縁死」になりうるが、<br />そう捉えなければ、そうではないということだ。<br /><br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/9/f/9f89d2d0.jpg" border="0" alt="201009_2" hspace="5" width="400" height="308" align="right" /> <br />家族・親子という縦の繋がりを失っても、人には横の繋がりが残る。<br />友人、知人、ご近所との、ささやかといえばささやかな繋がり。<br />家族を持たず、あるいは家族を失って年老いたとき、友人と濃く深い繋がりが持てればそれに越したことはない。<br />でも、たとえ淡いものであっても、人との横の繋がりを大切にして、自分なりにその中で居心地良く生きられれば、人は自分を孤独だと感じないです<br />むのかもしれない。<br /> <br />九十八才で天寿をまっとうされた宇野千代さんが、晩年、新聞に書いておられたコラムの文章を思い出す。<br />確か、「愛はいたるところにある」というような文章だった。<br />近所の人が朝、自分に挨拶してくれる、その気持ちの中にも愛はある。<br />隣の夫婦が月に一度くらい、自分の髪を切りに来てくれる、その行為の中にも愛はある。<br />その愛に感謝しつつ生きていきたいと、文は綴られていた。<br /> <br />たくさんの人が独身のまま老いを迎えるであろうこれからの日本では、<br />人との横の繋がりを補強してあげるようなシステムが必要になってくると思う。<br />でも、やっぱり最後には、自分を救うのは自分自身の心でしかないのだろう。<br />今、家族のいる私も、もしかしたら死ぬときは一人かもしれない。<br />それまでに、周囲にあるささやかな愛を拾って、<br />心豊かに生きていけるような、生きるためのワザを身につけていたいものだと思う。<br /><br /><span style="font-size: small;"><span style="font-size: x-small;">（Oggi2010年9月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）</span><br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><span style="font-size: small;"><strong><br /><br />※この記事に関するご感想・  ご意見はコメント欄にご記入ください※<br />※浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br /><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/523698.html">
<title>人は、どうやって結婚を決めるのか。</title>
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<description>結婚を一夜で決める人もいれば十八年かかる人もいる。結婚を一夜で決める人もいれば十八年かかる人もいる。いずれも私の身近な人たちのケースだ。 仕事仲間のＡ氏は、同じ女性とつきあって結婚を決めるまでに十八年かかったクチだ。学生時代からの交際で、結婚したときには三...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-07-28T12:00:30+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<br /><em>結婚を一夜で決める人もいれば<br />十八年かかる人もいる。<br /></em><br />結婚を一夜で決める人もいれば十八年かかる人もいる。<br />いずれも私の身近な人たちのケースだ。<br /><br /> 仕事仲間のＡ氏は、同じ女性とつきあって結婚を決めるまでに十八年かかったクチだ。<br />学生時代からの交際で、結婚したときには三十八になっていた。<br />相手も同じような年齢だ。<br />「なんでもっと早く結婚しなかったの？」と、尋ねると、彼は頭をかきながら、<br />「いやあ、最後の三年間は、何度も『結婚しよう』って言葉が口から出かかったんだけど&hellip;&hellip;。でも言えなかった」と、恥ずかしそうに言う。<br /><br />結婚したいという気持ちはあるのに、それを十八年も口に出来ない人がいるというのは驚きだ。<br />そして、「結婚して」の一言も言わず（彼女は言わなかったそうである）十八年待てる女性がいるということは、それ以上の驚きだ。<img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/6/b/6b72d38d.jpg" border="0" alt="201008_1" hspace="5" width="320" height="432" align="right" /><br /><br /> そんな気の長い二人が結婚に踏み切ったきっかけは、Ａ氏の上司の一言なんだそうだ。<br />ふとしたときにＡ氏のカノジョの存在を知ったその上司は、<br /><br />「いいか。今すぐ、彼女と結婚しろ。でなかったらお前をクビにする。俺は本気だ。十八年も一人の女を待たせて、その責任を取れないようなヤツは、社会人としても最低だ。わかったか」<br /><br />と、真顔で言ったそうだ。<br />その言葉に恐れをなした、というよりも、上司が自分たちのことを真剣に心配してくれている心情にほだされて、彼はすぐさま、籍を入れたんだそうだ。<br />いやー。いい話じゃないですか。<br /><br /><br /><em>「結婚」に執着せず、相手に執着したからこそ<br />結果的に結婚できたのである。<br /></em><br /><br />もう一人、最近、同窓会で再会した友人のＢ子は、離婚した直後に別の相手と再婚したと話してくれた。<br />離婚直後、親しい友人だけを集め、新たな人生の門出を伝えるささやかな飲み会を開いたところ、今の夫となる人に<br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/c/8/c8cb89a3.jpg" border="0" alt="201008_2" hspace="5" width="350" height="374" align="left" />「実は&hellip;&hellip;好きでした！」と、電撃告白されたというのだ。<br />なんとまぁ、ドラマみたいな、そしてなんとまぁ、羨ましい話だろうか。<br />それまでは、彼に対して恋愛感情などひとかけらも抱いていなかった。<br />気楽な茶飲み友達の一人ではあったが、彼のほうが十五歳も年下だし、<br />「私のことなんかオバサンとしか見てないでしょ」と、<br />恋愛対象から完全にはずしていたというのだ。<br /><br />「ありがとう。私、今、凄く寂しいから、今夜、泊まっていってくれる？」<br />と、Ｂ子は言ったそうだ。<br />以来、彼は彼女の家に泊まり続けている。<br />で、結婚もした。<br />「見た目は？タイプだったの？」<br />「それまではちっとも気がつかなかったけど、よく見てみたらタイプだったの」<br />「でも、でもよ、それまで全く恋愛対象じゃなかった人と急に一緒に暮らし始めて、ペース乱されたり、なんか違うなあってイライラしたりとか、無かったの？」<br />「ぜんぜん。前の夫との結婚生活が辛かったから、それに比べると天国」<br /><br /> こんなのって、アリか。いや、でもあるんだね、世の中には、こういう夢みたいなことが。<br /><br /> 今まで何度かエッセイに書いたけれど、私自身のケースを話そう。<br /><br />私は、三年半つきあった夫に「君のことは好きだけど、結婚は出来ない」と言われたが、「結婚しなくてもいいよ。試しに一緒に暮らしてみよう」と持ちかけて同棲し、その半年後に結婚した。<br />別に、同棲をきっかけにして結婚に持ち込んでやろう！と意気込んでいたわけではない。<br />本当に、今が楽しければいい、この人と少しでも長く楽しく過ごせればいいと思っていたのだ。<br /><br /> 私の仕事仲間Ａ氏と結婚した女性も、きっとＡ氏に対して同じように思っていただろう。<br />十五歳年下のカレと結婚したＢ子もだ。<br />向こう見ずの出たとこ勝負で、ダラダラしていて、いいかげんな人のほうが、結婚しやすいというパラドックスか。<br />いや、他の二人を巻き添えにしては申し訳ない。少なくとも私はそうだ。「結婚」に執着せず、相手に執着したからこそ、結果的に結婚できたのである。<br /> カッコ付きの「結婚」にこだわっている人は、結婚をゴールだと思っているけれど、結婚て、プロセスなんだよね。<br />誰かを好きになって共に時間を過ごしてゆく、その途中のプロセス。<br />恐れず、飛び込んでみるものです。<br /><br /><span style="font-size: small;"><span style="font-size: x-small;">（Oggi2010年8月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）</span><br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ ご意見 はコメント欄にご記入ください※<br />※         浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br /><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/458502.html">
<title>人間に「モテ期」はあるか。</title>
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<description>人には一生に一度、モテ期というものがやってくる。今回は、モテ期について考えてみる。持論だが、人には一生に一度、モテ期というものがやってくる。二十代でそれが来る人もいれば、五十代で来る人もいる。 その前に、役者のモテ期について考えてみたい。役者の場合、ここで...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-06-28T12:10:53+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<br /><em>人には一生に一度、<br />モテ期というものがやってくる。<br /></em><br /><br />今回は、モテ期について考えてみる。<br />持論だが、人には一生に一度、モテ期というものがやってくる。<br />二十代でそれが来る人もいれば、五十代で来る人もいる。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/2/a/2a2c2098.jpg" border="0" alt="201007_1" hspace="5" width="300" height="447" align="left" />その前に、役者のモテ期について考えてみたい。<br />役者の場合、ここでモテ期というのは、プライベートにモテている時期ではなくて、その人の魅力が世間に知れ渡り、仕事のオファーが絶え間なく舞い込んで、引っ張りだこになる時期を言う。<br />もちろん、この二つは多くの場合重なりあうのだけれど。<br /><br /> 堺雅人という役者がいる。<br />堺君を、私は縁あって、デビューの時から知っている。<br />かれこれ十四年前、フジテレビの深夜枠で、生まれて初めて私の書いたドラマが放映されることになった。<br />葛飾の滅びゆく名画座を舞台に映写技師の青年と少女の淡い恋を描いた三十分の短編ドラマ。<br />その主役が二十二才の堺君だった。<br />堺君自身もほぼこれがドラマデビューだった。<br /><br /> とても感じの良い、でも特に目立つところのない青年だった。<br />六年後に、「婚外恋愛」という連続ドラマの、主要な役の候補に彼があがったとき、人に言われるまで、私は彼のことを思い出せないくらいだった。<br /> 二十代も終わる頃になってようやく芽が出かけて、「遅咲き」と言われていた堺君。<br /><br /><br />顔だちそのものは綺麗なのに、「美男」という台からどうしても滑り落ちてしまうような、脱力系のカッコ悪さがある。<br />人柄の良さが画面に滲み出てしまう。草食男子の走りというのか、ぎすぎすしていなくて、男につきものの競争心がゆるーく抜け落ちていて、会っていても実に気楽な感じ。<br /><br /><br /><em>若いころモテなかった人が、<br />ある時期になって<br />昔はなかった魅力を発揮し始める。<br /></em><br />でもそういう彼が、私には、そのときすでに、とてつもなく魅力的に見えた。世間の評価はどうだったかというと、この頃はまだ、彼の魅力に気づいている人は少数だったように思う。<br />周りの女友達に聞き込み調査しても、<br />「もうちょっと色気があると良かったよね」<br />「なんかいまいち」<br />「気持ち悪い」<br />等という声が多かったのだ。<br /><br /> 二十代の俳優には、人は隙のない完璧な美しさ、男らしさに通ずる「キレ」を求める。チョイ悪でワイルドな男の子ほどモテる。ワイルドの対局のような堺君がモテなかったのもうなずける。<br /><br /> ところが。<br />三十をだいぶ過ぎてから彼は売れ出し、三十六歳の今、モテモテである。<br />大河ドラマ「新選組！」に始まって、映画「クライマーズ・ハイ」やドラマ「官僚たちの夏」のような、男の集団を描いた作品に彼が混じっていると、彼はそのオス性の薄さ、どこか柔らかな女性的な空気感で、ひときわ光って見えるのだ。<br />いい具合に力の抜けた、カッコをつけていない感じ、見ようによってはカッコ悪い感じが、人々の目に「魅力」として映るようになったのだ。<br /><br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/5/b/5b53af3f.jpg" border="0" alt="201007_2" hspace="5" width="400" height="270" /><br /><br /><br /> 役者は三十を過ぎてからが勝負で、美貌だけで売っていた人たちは櫛の歯が欠けるように消えていく。<br />そして、誰にもないユニークな何か、どこか「変」なところのある人が、生き残っていく。<br /> ところで、本題に戻るけれど、役者ではない、普通の人にも、これに似た現象は起きている。<br />若い頃モテなかった人が、ある時期になって昔はなかった魅力を発揮し始める。<br /><br /> 自分のゆく道を見据えて、焦らず淡々と努力を続けている人は、男女に限らず、<br />年齢と共にある種の美しさを獲得してゆく。<br />それが人の目にもはっきりと見えるほど花ひらいたとき、その人なりのモテ期が来る&hellip;&hellip;そんな気がする。<br /><br /><span style="font-size: small;"><span style="font-size: x-small;">（Oggi2010年7月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /></span><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ ご意見はコメント欄にご記入ください※<br />※浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/422229.html">
<title>龍馬はなぜ、モテるのか。</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/422229.html</link>
<description>龍馬の女に注ぐ視線は、遠くてあたたかい。さらりとしていて、そこはかとなく優しい。NHKの大河ドラマ『龍馬伝』が好調である。ということで、みんなが大好きな坂本龍馬、および福山雅治の魅力について考えてみることにした。 あの龍馬を、福山雅治が演じると聞いたとき、私...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-05-28T12:00:47+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<br /><em>龍馬の女に注ぐ視線は、遠くてあたたかい。<br />さらりとしていて、そこはかとなく優しい。</em><br /><br />NHKの大河ドラマ『龍馬伝』が好調である。<br />ということで、みんなが大好きな坂本龍馬、および福山雅治の魅力について考えてみることにした。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/1/0/104ed56a.jpg" border="0" alt="201006_1" hspace="5" width="280" height="354" align="right" />あの龍馬を、福山雅治が演じると聞いたとき、私は「これはナイスキャスティング！」と思って、見る前から楽しみにしていた。<br />龍馬の持つ、爽やかさ、スケールの大きさ、兄貴っぽさ、<br />なにものにも囚われない自由で恬淡としたところは、福山雅治という人の持つ魅力と重なる。<br />たとえば女性とのつきあい方にしても、決してベタベタせず囲い込まない感じがする。<br />遠くて高いところからさりげなく見守っているような、父性を感じさせるイメージだ。<br /> これは、同じ人気者でも木村拓哉の魅力とは対照的だ。<br />私の業界人の友人がSMAPのコンサートに初めて行ったときのこと。<br />その日まで、特にファンでもなかった木村拓哉の「目」に秒殺された、と彼女は言っていた。<br />拓哉は「この会場中の女を一人残らず俺の目で殺してやる」と間違いなく思っており、その視線は確実にその効力を発揮していたと、言うのである。<br />確かに彼にはそういう並はずれた「目力」がある。<br />彼が愛する女に注ぐ視線は、強く意思的で、粘度を帯びている。<br />舐めるように、まといつくように見つめる熱くてセクシーな、「近い」視線だ。<br />五月から始まる月９ドラマ『月の恋人』の一話で、私は「お前が欲しい」という台詞を彼に言わせた。<br />反発し、自分のもとを去っていこうとする女をひきとめるための殺し文句だ。<br />木村拓哉が「目で殺す男」でなかったら、彼にあの、ねじ伏せるようなすごい目力が無かったら、私はそれが素晴しいシーンになることを確信して、こんなザッツ・ラブストーリーな台詞を書くことは出来なかったろう。<br /><br /> 福山の、そして私が勝手に想像している龍馬の女に注ぐ視線は、こうではない。<br />遠くてあたたかい。<br />さらりとしていて、そこはかとなく優しい。<br />茫洋とした、春風みたいなまなざしなんである。<br /><br /><em>女を近くから見つめる男と、<br />遠くから見つめる男。<br />男には二つのタイプがある。<br /></em><br />私の思い入れが強すぎるためか、いまのところ、NHKの龍馬は、そういう龍馬らしさをいまひとつ発揮してくれていない感じがする。<br />ちょうど十話目まで見たところだが、ここまでの龍馬は、汗も涙もたくさん流すし、とにかくなにごとにも熱く一生懸命なのだ。<br />ところがそういう「一生懸命さ」は、龍馬の魅力とも、福山雅治自身の魅力とも、ちょっとズレる気がする。<br />みんなが一生懸命なときに、一人、そっぽをむいて空なんか見てアクビしてるのが龍馬で、そんなところがはじめのうち人には「アホだ」「グズだ」と言われ、後には「器が大きい」と言われるようになっていったんじゃないか。<br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/4/a/4a74d688.jpg" border="0" alt="201006_2" hspace="5" width="400" height="261" align="left" />龍馬はモテる男で、彼の人生には輝く星座のように女たちが分布している。これもまた私の勝手なイメージだが、龍馬は普通の男がするように誰かを妻、誰かを愛人というふうに順番をつけて囲い込んだりせず、その時々、近くに来たり遠くに行ってしまったりする彼女たちを、差別することなく愛してたんじゃないかと思うのだ。<br /><br />たとえばおりょうを妻にしたのは、たまたま彼女がそばにいたから、そして、彼女が彼の出会った中でも、一番出来の悪い野良猫みたいな、言ってみれば気楽な女だったからで、誰か特定の一人を思って独占しようとしたり、胸を焦がし号泣する、なんていうのは龍馬のイメージからほど遠い。<br /><br /> 女を近くから見つめる男と、遠くから見つめる男。<br /><br />男には二つのタイプがある。<br />後者のタイプは「みんなにも優しいのね。私のこと、ほんとに愛してくれてるの？」と、女から責められることが多いようだ。<br />でも女は得てしてそういう男にハマってしまう。<br />自分こそ龍馬の妻だと信じ込んで独身を通した千葉さな子みたいに。<br />そしてこれまた、私の勝手すぎるイメージだが、福山君は、そばにいるとあたたかいが目を離すとどこかに行ってしまいそうな、そんな罪つくりな優しさと魅力を十分に備えた男に見えるのだ。<br />―― 女としてはそんな龍馬を見てみたい。<br /><br />龍馬が変貌する様を描くという制作者の弁もあるので、期待しつつ見守っていこうと思う。<br /><br /><span style="font-size: small;"><span style="font-size: x-small;">（Oggi2010年6月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /></span><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ご意見 はコメント欄にご記入ください※<br />※         浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br />
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3865109&name=taeko_asano&pid=422229" width="1" height="1" />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/417273.html">
<title>男はなぜ思い出を美化するのか</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/417273.html</link>
<description>男は、過去の恋愛を宝石箱に入れるようにしてひとつひとつ大切にしている。正確な文章を思い出せなくて申し訳ないのだけれど、田辺聖子さんの小説中に、確かこんな一節があった。「女の恋愛には、背景が無い。前景が一面を覆ってしまう。 今、好きな男しか女には見えない」 ...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-05-10T16:23:05+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<br /><em>男は、過去の恋愛を<br />宝石箱に入れるようにして<br />ひとつひとつ大切にしている。<br /></em><br />正確な文章を思い出せなくて申し訳ないのだけれど、<br />田辺聖子さんの小説中に、確かこんな一節があった。<br /><br />「女の恋愛には、背景が無い。前景が一面を覆ってしまう。<br />&nbsp;今、好きな男しか女には見えない」<br /><br /> この感覚は私自身の実感に重なる。<br />今、好きな人がすべて。<br />過去につきあった人、好きだった人のことは、ことごとくどうでもよくなる。<br />別れた人をなかなか忘れられないということは、もちろんある。<br />でも、それも次に好きな人が出来るまでの話。<br />――こういう女性は、案外多いんじゃないだろうか。<br /><br /> 男は（私の見聞きする限りでは）全く違っている。<img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/2/c/2c3333b1.jpg" border="0" alt="201005_1" hspace="5" width="280" height="299" align="right" /><br />過去の恋愛を宝石箱に入れるようにしてひとつひとつ大切にしている。<br />別れた相手については良いことしか思い出さず、偶然再会でもしようものなら、仄かな恋心が甘い錯覚と共にただちに胸に蘇る。<br />過去に好きだった人のことは、今でもみんな好き――それが男だという気がする。<br /> こういう男の性質は、映画や小説などにもよく顕れている。<br />たとえば佐藤正午の小説「Ｙ」。<br />ここに登場する男性は、四十三歳で妻も子もある身でありながら、<br />十八年前に井の頭線の中でその立ち姿を見て恋に落ち、<br />たった一度、声をかけてお茶に誘っただけの女性にこだわり続ける。<br />その後、彼女の乗った電車が衝突事故に遭うという悲惨な運命のために、二人は二度と会えず恋も実らぬままに終わるのだが、<br />男のほうは、ありえたかもしれない彼女との未来を中年になってまで夢想し続けている。<br />そしてあろうことか、今ある自分の生活も家族も捨てて、<br />彼女を事故から救いもう一度、彼女との未来を紡ぐため、十八年前にタイムワープするという、小説ならではの暴挙をおかす。<br /><br /><em>記憶そのものが彼の好み通りに<br />変形してしまったのか。<br /></em><br />女性の中にも過去の恋人にこだわり続ける人はいる。<br />けれどこんなふうに、ふたことみこと言葉を交わしただけの相手との未来を、何年も夢み続けるなんて、これはもう、男にしかありえないロマンチシズムだ。&hellip;&hellip;と、私は思う。<br /><br /> ここで、実体験を一つ。<br /><br /> 三十年来の仲の良い男の友人が、「ブログで小説を公開してるから、覗いてみて」と、言ってきた。<br />読んでみると、掌編小説のような散文がいくつも並んでいるのだが、それがほとんど彼の過去に好きになった幾人もの女性たちにまつわる物語なのだ。<br />驚いたことに、そのうちの一つは私との思い出をアレンジした文章だった。<br />彼とは恋人同士としてつきあったことは一度も無い。<br />ただ、同じ大学に通う学生同士、恋人未満の淡い関係が、ほんのいっとき、ないでもなかった。<br />フランス人の神父が講師を務める日仏学院のフランス語の授業で私たちは席を並べていたのだが、その神父がガンになり、余命幾ばくもないと聞いて、二人揃って見舞いに行ったことがある。<br />小説は、その時の体験を題材にしていた。<br /> この日のことは、私もよく覚えている。<br />病室の息の詰まるような空気。<br />話題が無くて困ったこと。<br />苦しそうな神父さんの顔。<br />病室を出てから、駅までの道を、言葉少なに彼と歩いたこと。<br /><br /> 今もそうだが、いや、子どもが生まれた今はだいぶましになったかもしれないが、私は人の生死に関する事が、どうにも身に染みない質だった。<br />死にゆく人に哀惜を覚え、涙するような気持ちにどうしてもなれない。<br />そういう自分を私は冷たいと思い、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。<br /> すると彼が、そんな私の気持ちを察したように<br />「泣けないんだよね、こういうとき、あなたは」と、言った。<br />「わかってるんだ、俺は」　それは冷たく突き放すというよりも、『わかってるよ。まぁ、しょうがないよな』という、友達らしいあたたかみのあるニュアンスで、私はずいぶん救われた気分になったのだ。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/3/3/337c900e.jpg" border="0" alt="201005_2" hspace="5" width="270" height="392" align="left" />ところが、である。<br />彼の小説では、ここで、連れの女の子が、「神父さん」と呟き、夕日を見ながらひとすじ涙を流すのだ！　 <br />私は愕然とした。<br />事実を覚えていてあえてこういうアレンジにしたのか、<br />それとも、記憶そのものが彼の好み通りに変形してしまったのか。<br /> 気になりはしたが、私はあえて、問いたださないことにした。<br />彼の中で美化されたままでいたいなどとは毛頭思わないが、彼が三十年前の私のイメージを思い出と共に美化して楽しんでいるのなら、その喜びは壊さずにいておいてあげようという、まぁ、親心である。<br />親心って、こういうとき、言わないか。まあ、でも、そういう気持ちである。&hellip;&hellip;男ってのは、いやはや。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><span style="font-size: small;"><span style="font-size: x-small;">（Oggi2010年5月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /></span><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ご意見 はコメント欄にご記入ください※<br />※        浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/363724.html">
<title>運命の男性は存在するか。</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/363724.html</link>
<description>ヒロインは昨日の私であり、明日のあなただ。ゾエ・カサヴェデス（あのジョン・カサヴェデスの娘！）の「ブロークン・イングリッシュ」という映画がある。すごい名作というわけでもないし、名の売れた俳優が出ているわけでもない、小さな映画だ。簡単に筋を説明すれば、仕事...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-04-23T12:25:10+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<em>ヒロインは<br />昨日の私であり、<br />明日のあなただ。<br /></em><br />ゾエ・カサヴェデス（あのジョン・カサヴェデスの娘！）の「ブロークン・イングリッシュ」という映画がある。<br />すごい名作というわけでもないし、名の売れた俳優が出ているわけでもない、小さな映画だ。<br />簡単に筋を説明すれば、仕事にも人生にも行き詰まった三十代の女（彼氏いない歴推定三年）が、言いしれない危機感に襲われて恋人ほしさに七転八倒し、あっちこっちで傷ついたあげく最後に本当の恋を見つけるというお話である。<br />なんて平凡な、でもなんて切実な話だろうか！　<br />その身につまされ感、あるある感は、これがアメリカの映画だということを忘れさせる。<br />ヒロインは昨日の私であり、明日のあなただ。<br /> <br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/6/b/6bca5151.jpg" border="0" alt="201004_1" hspace="5" width="280" height="347" align="right" />友達の紹介で、収入も見栄えも悪くない男とデートする。<br />でも、映画館で彼のモトカノにばったり。<br />男は「ごめん。彼女と別れたばかりで、まだ次に進む気になれないんだ」と謝る。<br /> <br />落ち込んだヒロインは、翌日、マンションの部屋で一人、ヨガに没頭する。<br />留守番電話には、合コンやパーティの誘いが入ってくるが、期待して傷つくのはもう嫌だと耳を塞ぐ。<br />でも寂しくて、やっぱり夜になるとパーティに出かけてしまう。<br /> <br />パッと見渡したところ、男はハズレばかり。<br />中でもタイプじゃない太めくんにしつこく言い寄られ、うんざりしながら、エレベーターに逃げる。<br />このとき、入れ違いに彼女の「運命の男性」が降りてくる。<br /><br /><br /><em>運命はあったかもしれないけど、<br />運命を引き寄せる努力も<br />私はしていたように思う。<br /></em><br /><br /> <br />この映画はここが絶妙にうまい。<br />普通の映画だと、ここでどこから見てもかっこいい男、あるいは誰もが名前を知ってるようなイケメンが出てきて、後の展開が予想できてしまうのだが、この映画は違う。<br />最初の一瞬、男は外角ギリギリな感じなのだ。<br />つまり、追い詰められれば手を出すけれど、そうでなければスルーしてしまうビジュアルと雰囲気ということ。<br />フランス人で、喋っている英語も変だし、なんだかチャラくて信用できない感じもする。<br />映画の進行にともない、そんな彼が少しずつ魅力的に見えてくる過程と、ヒロインが彼に惹かれていく過程がみごとに一致し、観客は物語に引き込まれていく。<br /> <br />数日の逢瀬の後、この男、ジュリアンはパリに帰っていく。彼女は泣く泣く彼と別れる。<br />でも、どうしても忘れられない。半年後、仕事を辞めて彼を追いパリに発つが、渡されていた携帯番号のメモをなくしてしまい連絡が取れない。<br />諦めて帰国しようとしたその日、地下鉄の中で彼に再会する。<br />運命の恋というわけだ。<br /> <br />さて、運命の男性というものが存在するか、だけれども。<br /> <br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/4/9/49916e24.jpg" border="0" alt="201004_2" hspace="5" width="360" height="233" align="left" />三十歳前後のある時期、私はまさにこのヒロインと同じような状態だった。<br />とにかく誰かと早く「つがい」になりたくて、いろいろな人に会い、我慢してあまり楽しくないデートをしたり、ちょっといいなと思った人にふられたりしていた。<br />そんな中、今の夫に出会ったのだが、それが運命だったのかどうか。<br /><br />答えはイエスでもありノーでもある。<br /> <br />まず、夫に会う前に、私は出会いを求めてずいぶんあがいた。求めなければ出会いはやってこない。<br /> <br />そして、夫に会ったとき、あることを直感した。<br />「好き」でも「かっこいい」でも「素敵」でもなく、この人とは、一緒に暮らしたらきっと楽しい、私にとっては最高にいい人だ、と思ったのだ。その後、いろいろなことがあり、別れ話や破局の危機も経た上で、結婚したのは交際四年後のことだった。<br /> <br />振り返ると、運命はあったかもしれないけど、運命を引き寄せる努力も私はしていたように思う。<br />そして、なんだかんだとあがいてみて、ふっと諦めて「もういいや」と思えた頃、いいことは思いがけず向こうからやってくるという、実感もある。<br /> <br />最後にもう一つ。<br />恋人のいない女の子が運命の恋を求めてさまよう実感百パーセントの映画。<br />フランス版なら、エリック・ロメールの「緑の光線」があります。<br /> <br />おすすめです！<br /><br /><span style="font-size: small;">（Oggi2010年4月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ご意見 はコメント欄にご記入ください※<br />※        浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br /><br />■<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005FBWF?ie=UTF8&amp;tag=ogitv-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=B00005FBWF">≫エリック・ロメールの「緑の光線」のDVDについて調べる</a><img style="border:none !important; margin:0px !important;" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ogitv-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=B00005FBWF" border="0" alt="" width="1" height="1" /> <br /><br /><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361447.html">
<title>人はなぜ、片思いをするのか。</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361447.html</link>
<description>恋愛はすべからく自分勝手、ワガママなものだが、片思いはその究極だ。 若い頃、私は片思いの達人だった。達人というのは、片思いを実らせる達人という意味ではありません。片思いを片思いのまま終わらせる達人、という意味です。あしからず。 ドラマといえばラブストーリー...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-04-22T20:24:09+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<em>恋愛はすべからく自分勝手、ワガママなものだが、<br />片思いはその究極だ。<br /></em><br /><br /> 若い頃、私は片思いの達人だった。<br />達人というのは、片思いを実らせる達人という意味ではありません。<br />片思いを片思いのまま終わらせる達人、という意味です。あしからず。<br /><br /> ドラマといえばラブストーリーばかり描き、恋愛についてのエッセイまで書いているものだから、私のことを恋愛の達人みたいに思っている読者もいるかもしれないが、誤解の無いように言っておくと私は本当に恋愛ベタです。<br />女として生きてきた半生を振り返っても、相思相愛と呼べる状況になれたのは、相手が先に自分を好きになってくれて、それに自分が応えたというケースが二回だけ（そのうち一回が今の夫）。<br />それ以外の恋はすべて片思いである。<br />好きになり、勝手に思いを募らせ、告白し、玉砕するという繰り返しだった。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/2/f/2f8e6cdb.jpg" border="0" alt="201003_1" hspace="5" width="270" height="372" align="right" />世の中には確かに、片思いをしない人たちというのが存在する。<br />ハンサムだから、美人だから、というわけではなくて、この種の人々は、サインを注意深く読みとって、自分を好きになってくれそうな相手、既に好感をもってくれている相手だけを好きになるのだ。<br />エンジンをムダにふかさない省エネ車のような器用な心をもっているのだ。<br />そういう人を心底羨ましいと思い、真似をしたいと願っても、片思い体質の人間にはなかなかそれが難しい。<br /><br /> 少し前の話になるが、「ロンドンハーツ」という番組で、女性タレントたちがそれぞれ好きな人を想定して携帯メールを書くという企画があった。<br />司会者はメールを読んで採点しモテメールとブスメールに振り分けるのだが、ブスメールを連発してへこむｍｉｓｏｎｏ を観ていて、私は自分のことのように身につまされた。<br /><br /><em>いつだって片思いは、恋される側よりも<br />恋する側のほうに理由があるのだ。<br /></em><br />彼女は「私、?がつけないんで」と、「好きだ」という自分の手の内をまず明かしてしまうのだ。<br />相手の反応を考えるよりも先に、自分の気持ちを知ってもらうことでラクになろうとし、そのつもりは無くとも愛情を押しつけてしまう。<br />私がいつも失敗してきたパターンだ。<br />恋愛上手の人はまずこういうことをしない。<br />愛情の吐露は、相手にとって時に重荷になることをよくわかっていて、常に一歩引いた思いやりを示そうとする。そして長い時間をかけて少しずつ相手の顔を自分のほうに振り向かせる。<br />わかってるんだよね。わかっているけど、恋愛下手の人間にはこれができない。<br />せっかちで、自分本位で、気持ちをいきなりぶつけてわかってもらおうとする甘チャンなところがあるからだ。<br /> 要するに、片思いというのはワガママなんである。<br />恋愛はすべからく自分勝手、ワガママなものだが、片思いはその究極だ。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/1/c/1c535f27.jpg" border="0" alt="201003_2" hspace="5" width="270" height="413" align="left" />私の男友だちにも一人、四十をとうに越して未婚の、片思いの達人がいる。<br />その彼が、今までに最高に愛した女性は、一時期追っかけをしていたストリッパーの&times;&times;ちゃんだとのたまった。舞台は何度も観に行っている。花束も直接手渡した。その他数名のファンの男子たちと彼女をまじえ喫茶店で何度か喋った。<br />彼女は彼を「&times;&times;さん」と名字で呼んでくれる。<br />でもそれだけだ。キスはおろか手を握ったこともない。<br />にもかかわらず、彼は自分の四十数年の人生で、彼女に捧げたほど密度の濃い強い愛情を、誰にも捧げたことがないというのだ。<br /><br /> 「それって悲しくない？」と聞くと「ぜんぜん」と、彼は言う。<br /><br />まず僕は、彼女の踊りに救われた。<br />舞台の彼女にはそれだけの強い力があった。だからこそ舞台を降りて素に戻ったときの彼女の寂しさ<br />にも心を寄せていくことができた、と。<br />「片思いだからこそ」あれだけ盛り上がれたんだ、と彼は言う。<br />そうかもしれない。現実の煩瑣なやりとりの中で薄れたりゆがんだりしていく「両思い」よりも、片思いはヌルくなることなく純度を保ち続ける。<br /><br /> 私の見るところ、&times;&times;ちゃん以前も以後も年がら年中誰かに片思いをしている彼なのだが、「恋をしているときは苦しいけれど、誰にも恋をしていないときはもっと苦しい」そうだ。<br />酸素の少ない水槽でアップアップしている金魚のような、魂のいきどころを失ったような息苦しさを感じるらしい。<br /> これはちょっとわかる。人ってたぶん、恋愛したいんだと思う。<br />心の中に恋愛感情のわく泉があって、水かさがいっぱいになってもちこたえられなくなったとき、そばにいる誰かにむかって、それは物狂おしく噴射してしまうのだ。<br /> 誰かを好きになり、なぜほかでもなくこの人を好きになったんだろうと悩んでしまうとき、自分の中の恋の泉が暴れているんだと、私は思うことにしている。<br /><br />いつだって片思いは、恋される側よりも恋する側のほうに理由があるのだ。<br /><br />恋をするだけで、人は救われているんだと私は思う。<br />だから、好きになった人には、「ありがとう」を言わなきゃいけない。<br />そのくらいの謙虚さが、片思いにはちょうどいいのだ。<br /><br /><span style="font-size: small;">（Oggi2010年3月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /><br /><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /></span><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ご意見 はコメント欄にご記入ください※<br />※       浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361428.html">
<title>女は、いくつまで女でいられるか。</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361428.html</link>
<description>おばあさんたちは外見はおばあさんでも心の中は女だ。 そろそろ五十の大台が近づいてきた年齢になって、近頃、女って、いくつまで女でいられるんだろうかと、しきりに考えるようになった。若い読者の皆さんには、ピンとこない話題かもしれませんが、まぁしばらくおつきあいく...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-04-22T20:16:29+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<em>おばあさんたちは外見はおばあさんでも<br />心の中は女だ。<br /></em><br /><br /> そろそろ五十の大台が近づいてきた年齢になって、近頃、女って、いくつまで女でいられるんだろうかと、しきりに考えるようになった。<br /><br />若い読者の皆さんには、ピンとこない話題かもしれませんが、まぁしばらくおつきあいください。<br />思っているほど、遠い話じゃないですから。<br /><br /> 長年フリーターをやってきた男友達が、介護の仕事に携わることになり、日々お年寄りと接しているのだが、彼が言うには、「ホームのおばあさんはエロい。独り住まいの人はそんなでもないけど」。おばあさんたちは外見はおばあさんでも、心の中は女だ。<br />入浴や身の回りの世話を男性のヘルパーにみてもらいたがり、お風呂の中で手を握ってきたり、ベッドで一緒に寝てくれとせがんだりするという。<br />そういうときは、「僕を悪い男にしないでよ、困っちゃうなあ」と、笑っていなすそうである。<br />こんな話を聞いたら、若い皆さんは「うわっ！ 気持ち悪い！」と、生理的な嫌悪を覚えるだろうか。<br />ところが私はそうはならない。それどころか「そうかぁ。そうだろうなぁ&hellip;&hellip;」と、やけにしみじみした気持ちでおばあさんに共感してしまう。<br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/2/2/223ed181.jpg" border="0" alt="201002_1" hspace="5" width="350" height="305" align="right" />たとえばある認知症のおばあさんは、たまに鏡に自分の姿が映ると、ハッとおびえて身構えるという。<br />彼女には自分が年を取ったという認識が無い。<br />鏡に映るのは、見も知らぬ他人、気味の悪い「おばあさん」だと思うのだ。<br />そんなときは彼は優しく彼女の手を引いて、「あっちにいこうね」と、鏡から引き離す。<br />その光景が目に浮かび、私はまた胸が痛くなる。<br />彼女の頭の中の「自分」は、もっと若くてキレイなはずなのだ。<br />世話してくれる男性ヘルパーと自分のトシがさほど離れているとも思っていないのだろう。<br />ほのかな乙女心を、抑圧のとれた精神状態で全開にしているおばあさん。かわいいじゃないか。<br />それに、なんだか切なくもある。<br />全くもって、ひとごとじゃない。私もきっと、ボケが入ったら（いや、あまり入らなくとも人恋しさのあまり）そんなおばあさんになるに違いないという気がする。<br />年甲斐もなく若い男子に恋をし、当然、相手にされないわけだ。<br />人間、最後の恋は片思いか。ああ、切ない。<br /><br /><em>たぶん死ぬまで女は女で、<br />その面倒臭さから<br />解放されることは無いんだろう。<br /></em><br /> 先日、井上荒野さんの「静子の日常」という新刊を読んだ。<br />静子という七十五歳の女性が主人公だ。荒野さんは私と全く同い年の61年生まれなので、やっぱり老いの問題が気になってきたのかもしれない。<br /><br />静子おばあちゃんは、映画「アメリ」の主人公アメリのような、いたずら好きでお茶目で、とても魅力的な女性である。<br />たとえば行きつけのスポーツクラブでこうるさい張り紙を見かけると（「人の悪口は言わないようにしましょう」のような）、黄色い付せんに「ばか？」と書いて貼り付けておくような。<br />この静子さんも、若いときは恋をした。今は亡き夫が浮気三昧していた頃に、ある男性にどうしようもなく心惹かれ、一度は発作的に家を出ようと息子の手を引いて銀座で落ち合ったことがある。<br />結局、家出は決行されなかったのだが、その男が、体を悪くして老人ホームに入り、地図付きの葉書を送ってきた。<br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/a/a/aae46d20.jpg" border="0" alt="201002_2" hspace="5" width="270" height="339" align="left" />何十年ぶりかに静子は男に会いにいく。<br />男は、若いときにもそうだったように、女たち（といってもおばあさんや看護師さんだが）に囲まれていた。「やあ、いらっしゃい」と、昨日会ったばかりのような笑顔で静子を迎える。<br />男が世慣れた遊び人であること、そんな男への、静子の思いが案外深いものであったことが、その場面から察せられる。<br />「僕の積年の思い人だよ」と、男は静子を女たちに紹介し、二人はなんでもないお喋りをして穏やかな時間を過ごす。<br />数ヶ月して、ホームから男の容体が悪化し予断を許さないと告げる葉書が届く。<br />静子は準備をして出かけようとする。すると、その朝、男から葉書が届く。<br />青いクレヨンで「くるな」とだけ書かれている。静子はそれでも支度をし、バスに乗る。<br />でも、バスを途中で降りてしまう。<br />いつも通っているスポーツクラブのプールに行き、思い切り泳ぐ。<br />涙が流れていてもここなら誰にも気づかれない。50メートルいっきに泳いで顔をあげ、まだ涙の止まらない顔で「ばか」と呟く。<br /><br /> ここを読んで、泣いてしまった。<br /><br />七十五歳で一度の逢瀬を諦めるということは、一生の逢瀬を諦めることだ。残された自分のわずかな時間の中に、大事なひとりの人の存在がなくなるのを引き受けることだ。それはハタチや三十で、男と別れる決断をすることとは覚悟のケタが違う。その覚悟の深さ、七十五歳の凜とした潔さに、胸を突かれた。<br /><br /> しかたがない。<br />たぶん死ぬまで女は女で、その面倒臭さから解放されることは無いんだろう。<br />できれば静子のように潔くありたいけれど、本能丸出しの色ボケばあさんになってしまうかもしれない。<br />でも、老いても女であることを、あさましいと見るのも美しいと見るのも人の目だ。<br />死ぬまで恋する乙女でいて心の中に小さな火を灯し続けるのも、悪くないかなと思っている。<br /><br /><span style="font-size: small;">（Oggi2010年2月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ご意見 はコメント欄にご記入ください※<br />※       浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361402.html">
<title>なぜ、多くの女は子を産みたいと思うのか。</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361402.html</link>
<description>女の身体の奥底に、子を持ちたいという本能はしぶとく蓄えられているのかもしれない。三十代後半の女友だちが、近頃しきりに、結婚したいと口走るようになった。きっと本能なのよ、と彼女は言う。子供を持ちたいという本能。今までアーティスト崩れの危険な匂いのする男性や...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-04-22T20:07:33+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<em>女の身体の奥底に、子を持ちたいという本能は<br />しぶとく蓄えられているのかもしれない。<br /></em><br /><br />三十代後半の女友だちが、近頃しきりに、結婚したいと口走るようになった。<br />きっと本能なのよ、と彼女は言う。<br /><br />子供を持ちたいという本能。<br /><br />今までアーティスト崩れの危険な匂いのする男性や、セクシーな男性に惹かれてきた彼女だが、さすがに疲れてきたという。<br />だから今度こそはできれば幸せなゴールをめざして、長年にわたって友人としてつきあってきた幼なじみとの交際を考えているのだそうだ。<br />彼のことは好きだけど恋してるってほどじゃない。でも、深い親しみは感じているし一番安心できる相手だし、もういいんじゃないか、もうじたばたしたくないのよと、確かそんなニュアンスで彼女は語っていた。<br />恋といえば不可能に身を焦がすような恋をしてきた彼女を知っているだけに、大丈夫かしらと老婆心がわくものの、そうね、確かにそれもアリかもしれないと思う。結婚すれば、ときめきなんてものはいつかなくなって、結局残るのは安心感なんだし。<br /><br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/1/f/1fdd0a2e.jpg" border="0" alt="201001_1" hspace="5" width="350" height="373" align="right" />それに、子供！　これが難題だ。<br />どうして男だとあまり問題にならない子を持つことのタイムリミットが女にだけ課されてしまうのか、どうにも不公平だけれど仕方がない。<br />やっぱり女の体の奥底に、子を持ちたいという本能はしぶとく蓄えられているのかもしれない。<br /><br /> 私の大好きな作家、津島佑子さんの「火の山」に、登場人物のこんな独白がある。<br /><br />「女ってのは子を産みたいものなのよ。たとえ自分が死んだって。たとえ生まれてきた子が死んだって」<br /><br />子を産んだことのある身として、私には妙に実感の湧く言葉だった。<br />女にとっては子を産むこと自体が命の燃焼で、それから先は二の次三の次なのだ。<br />私は、子を産んで人が幸せになれるとは思っていない。<br />子を持つ人の人生が子の無い人の人生に比べて孤独でないかどうかすらわからない。<br />子供というのは、いっとき親のそばにいて、そしてどこかにいってしまうものだ。<br />それに自分自身を顧みてもわかるのだが、親が期待するほど子は親を思わない。<br />ただ、子供というのはそういう損得利害を超えてしまう存在で、それだからこそすごいのだとも言える。<br /><br /><em>人って自分の人生を、<br />あまりきれいに完結してしまうのを<br />恐れる動物なのかもしれない。<br /></em><br /> 私自身は、三十四のときに一人、四十のときにもう一人子供を産んだ。<br />つくづく思うのは、子供は理屈の通らない人生の異物、他者だということである。子供というのは、人生をまっすぐには運んでくれない。子供のせいで、人は大きな曲がり角に出会ったり、あちこちにぶつかったりする。<br />仕事だって、家事だって、鼻歌まじりで調子よくやっていると子供に邪魔される。<br />イライラし、ざわざわする。でも、それがおもしろいのだ。子供のせいで、人生がざわざわするということが。そういう異物が人生を賑わせてくれることが。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/1/5/1599331d.jpg" border="0" alt="201001_2" hspace="5" width="350" height="227" align="left" />実はこの原稿は一回ボツになった原稿である。<br />Oggiの読者は独身のキャリアガールが多いので、あまり出産礼賛みたいな内容にしないでほしいという依頼があったのだが、やっぱり私は、『子供って悪くないですよ、どうですか一つ、みなさん』みたいな文章を書いてしまうみたいだ。うーん。どうすればいいんだろう。<br /><br /> 誤解をうまないように、もう一人、私の同年配の友人の話を書こう。<br />彼女は独身で、とても華やかな、恋多き人生を生きてきた。<br />今はある芸能事務所のアシスタントをしているのだが、そこで、田舎から出てきた十二、三歳の子供たちの世話を、お母さん代わりになって焼いている。<br />食事をつくってあげたり、休みの日に一緒に遊んであげたり。そんなときの彼女は本当に活き活きとしている。彼女は言っていた。<br /><br />「私は今まで、自分のお金と時間を全部自分のためだけに、わがまま放題に使ってきた。そのことに少しの後悔もないけれど、残りの人生の時間は、ちょっとだけ人のために使いたいのよ」と。<br /><br /> だから、女の本能云々でなくて、人って自分の人生を、あまり綺麗に完結してしまうのを恐れる動物なのかもしれない。若いときは誰しも自分で手一杯。自分のことだけでアップアップだけど、少し仕事も落ち着いて、人生の先が見え始めると、あまりにも美しくまとまった一生は物足りなく思えてくるのだ、きっと。<br /><br />そしてそれは、必ずしも悪いことじゃないと私は思っている。<br /><br /><span style="font-size: small;">（Oggi2010年1月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ご意見 はコメント欄にご記入ください※<br />※      浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br /> <br /><br /><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361373.html">
<title>恋と愛の境目は、どこにあるのか。</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361373.html</link>
<description>愛と呼ぶにはあまりに純粋で、淡くとらえどころのない何か、愛と呼ぶしかないような何か。 近頃、年をとったせいか、「恋」ではなく、「愛」を描いた物語に心惹かれるようになった。といっても、「人間愛」というような大きすぎる括くくりで語られる愛ではなく、私が引きつけ...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-04-22T19:59:03+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<em>愛と呼ぶにはあまりに純粋で、<br />淡くとらえどころのない何か、<br />愛と呼ぶしかないような何か。<br /></em><br /><br /> 近頃、年をとったせいか、「恋」ではなく、「愛」を描いた物語に心惹かれるようになった。<br />といっても、「人間愛」というような大きすぎる括くくりで語られる愛ではなく、私が引きつけられるのはやはり、一人の人と人、男と女が、恋と呼ぶにはあまりに純粋で、淡くとらえどころのない何か、愛と呼ぶしかないような何かで結びつけられている物語だ。<br /><br /> 西川美和監督の「ディア・ドクター」の中には、そのような愛が見事に描かれている。<br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/c/3/c3e82f40.jpg" border="0" alt="200912_1" hspace="5" width="300" height="383" align="right" />簡単に言うとこれは、僻地の無免許医師である伊野（笑福亭鶴瓶）が、末期ガンの患者である未亡人かづ子（八千草薫）を助ける話である。<br />その助け方が、医師が患者を助けるのならば究極的にはこうあってほしいと願いたくなるような、身を挺<br />して相手の人生を引き受ける、徹底した助け方なのだ。<br />かづ子は自分の病状を自覚しており、遠い東京で医師として働いている娘（井川遥）に迷惑をかけたくない、病気を隠し通したいと思っている。<br />伊野はそれを察し、「奥さんのいいようにしましょうね」と、やんわりと申し出る。<br />ガンで助からないことは二人ともわかっているが、決してそれを口に出さず、お腹の中で秘密を共有する。<br />かづ子が血を吐きながらも「先生、助けて。娘が来るの」と言うものだから、伊野は東京から帰省してきた娘に?をつき、偽の内視鏡写真まで用意してかづ子の健康を証明しようとする。<br />しかし、多忙な娘が、次の帰省は一年後になると診察室で話すのを聞いて、伊野の心は揺れる。<br />実の娘に最後まで?をつき通せるか。<br />それは患者にとって本当に幸せなのか。<br />結果的にこの迷いが端緒となって、彼は無免許医であることを世に露呈し警察に追われる身となっていくのだが、彼が医療の枠、世間の常識の枠を超えて、一人の女性を真剣に守ろうとしたことは、疑いようもなく確かなのだ。<br /><br /><em>恋愛を超えた「愛」の世界が、その彼方に広がっている。<br /></em><br /> この話はかづ子の役が年配の女性でなく男性だとしても成立はする。するけれど、面白みは半減してしまうだろう。<br />八千草薫さんという人は、年をとっていても、どこか仄かに、それでいて生々しく「女」を感じさせる人で（それは例えば、自宅の布団の上で浴衣越しに聴診器をあてられる彼女を、近隣の男たちが食い入るように見つめているシーンにもよく現れているのだが）、鶴瓶演じる伊野も少なからずそこに反応しているはずであり、男として女を救いたいという感情が医師としての無私の行動の底にひとすじ流れているに違いないと思わせる。<br />そしてそこに、物語の深みがあるのだ。<br />この配役は絶妙で、例えば渡哲也と吉永小百合だったら、普通のラブストーリーになってしまうし、老女役が菅井きんだったら（菅井きんさんには申し訳ないが）ただのヒューマンドラマになってしまう。<br />伊野役も鶴瓶だからこそ、あのいわく言いがたい淫靡なフンイキも含めて、作品になまめかしい艶やかさを添えている気がする。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/c/0/c0bff7bc.jpg" border="0" alt="200912_2" hspace="5" width="350" height="259" align="left" />海外の作品ではクリント・イーストウッドの名作「ミリオンダラー・ベイビー」が、これによく似た構図を持っている。こちらはボクシングの老コーチと、若い女性ボクサーの組み合わせだ。イーストウッド演じるコーチは、自分と同じように家族に見放された孤独な女の境遇を知り、一緒に夢を紡いでいこうとする。<br />女はボクサーとして花開くが、それも束の間、試合中の事故で首から下が麻痺し病院のベッドから一生起きあがれない体になってしまう。<br />誇り高く死にたいという女の願いを聞き入れ、コーチは生命維持装置のスイッチを切る。<br />恋愛めいた台詞はどこにもない。キスもセックスもないけれど、これもやはり紛れもなく男と女の物語だ。ここにあるのは厳密には恋愛感情ではない。<br />しかし、その一歩手前で、しっかりと絡み合い通い合っている感情がある。<br />一人の男が、一人の女の生を、痛みとともに丸ごと引き受けている。<br /><br /> 「恋愛」と「愛」。<br /><br />その境目は限りなく曖昧だ。高尚めいて聞こえるかもしれないが、正直言うと、私がこんな愛のかたちに惹かれるのも、いつまでも恋愛を諦めたくない未練たらしい気持ちがあるからなのだろう。<br />恋愛をキスやセックスに限定してしまうと、年をとるほどにそのチャンスは遠ざかる。<br />でも、恋愛を超えた「愛」の世界が、その彼方に広がっている。そう思いたい。<br /><br /><span style="font-size: small;">（Oggi2009年12月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ご意見 はコメント欄にご記入ください※<br />※      浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへの メッセージはコチラ</a></strong></span><br /><br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361351.html">
<title>人はなぜ、海のそばに住みたがるのか。</title>
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<description>私、あんまり海のそばの暮らしには向いてないのかも。 鎌倉に住んで十年になる。去年、市内で引っ越しをして、比較的駅に近い、山を背負った一画に移り住んだ。新居を選ぶにあたっては、海のそばに住むか、山のそばに住むかで悩んだ。鎌倉で海のそばに住もうとすると、どうし...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-04-22T19:52:13+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<em>私、あんまり<br />海のそばの暮らしには向いてないのかも。<br /></em><br /><br /> 鎌倉に住んで十年になる。去年、市内で引っ越しをして、比較的駅に近い、山を背負った一画に移り住んだ。新居を選ぶにあたっては、海のそばに住むか、山のそばに住むかで悩んだ。鎌倉で海のそばに住もうとすると、どうしても駅からは遠くなる。車を持たない私にとっては駅からの距離は最重要事項なのだが、それでも諦めきれずに何軒か、「海見え物件」というのを回ってみた。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/f/7/f77a2be7.jpg" border="0" alt="200911_1" hspace="5" width="350" height="428" align="right" />それでわかったことなのだが、海の見える家というのには、たいがい道路からの騒音がついて回る。<br />交通量の多い湾岸道路が海を取り巻いているからだ。<br />海が近いと、そうでなくても、塩害でものがすぐに錆びるとか、洗濯物が干せないとか、色々と難儀がつきものなのだが、私の場合はこの「音」がネックだった。<br /><br /> 高台に行けば道路の音から逃れられる――ということで、七里ケ浜の高台の家を、見せてもらった。<br />車で相当な急坂を登った上にある家で、二十畳ほどある二階のリビングの、二つの掃き出しの窓からは、海が一望できる。窓の下半分が海の青だ。湾の形まで見える雄大な景色だ。<br /><br />「海見え物件で、これ以上のものはありません」と、不動産屋さんは得意げだったが、私は足もとから轟く潮騒の音を聞くうち、悪酔いでもしそうな気分になってきた。ダメだ。この音を、一日中、一年中、聞いてはいられない&hellip;&hellip;。私、あんまり海のそばの暮らしには向いてないのかも。<br /><br /> ということで、山あいの家を選んだ。<br />鎌倉の地形は独特で、?風のような山が放射状に海に向かっていくつも伸びている。<br />私の住む家も、ベランダに立つと三方が山である。南の方には、ちょうど二つの?風が立てられたように、山と山が迫って、ほんの少しだけ隙間があいている。その隙間に、２センチくらいの小さな海。<br />本当に天気のいい日だけ、少し光って見えるような海だ。家の後ろは崖で、緑が生い茂っている。<br /><br /><br /><em>海は怖い。<br />怖いのに、なぜか惹かれる。<br /></em><br />ここに住んで気付いたのは、音が澄んで聞こえることだった。<br />車通りが少ないので、道ゆく人の声、鳥や獣の声、木々の葉の葉擦れが、本当によく響く。<br />風が吹くと山を鳴らすようにして一斉に木が揺れる。<br />静けさと音のコントラストがこんなにも耳に心地よいものだとは。<br />視覚的な喜び以上に、聴覚の喜びは奥深い。やっぱり自分は「山派」なんだと、納得した。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/c/8/c8fc4133.jpg" border="0" alt="200911_2" hspace="5" width="320" height="370" align="left" />ところで、私はよく海の夢を見る。<br />子供のときから今に至るまで繰り返し見ているのが、大きな波に呑み込まれる夢だ。<br />パターンは色々だ。<br />海水浴場で遊んでいると、大津波が水平線の向こうから聳え立つ。<br />城塞都市の坂道を歩いていると、坂道の下から白い波がとぐろを巻いて押し寄せてくる。<br />ガラス張りの旅館のロビーの、そのガラス戸いっぱいに津波が打ち寄せ、窓を破って押し入ってくる。<br />不思議と雨嵐の印象は無く、いつも空は明るく日は燦々と照っている。<br />それでもいったん呑み込まれると、体は波に囚われたままいつまでも浮かびあがらず、もう少し、もう<br />少しで顔が出ると、我慢しているうちにどんどん息苦しくなってくる&hellip;&hellip;。<br /><br /> どうしてこんなに海の夢を見るのだろうか。海は怖い。怖いのに、なぜか惹かれる。<br />そういう美しくて怖いものを毎日毎晩、飽きるほど見て暮らしたら、どんな気分になるものなのだろう。<br /><br /> フロイトによれば海は人間の無意識の象徴だそうだ。<br />たとえばそれは、平凡な生活を送る主婦の心の奥底にあって、ある日突然噴出し、人生を根こそぎ覆してしまう無軌道な恋愛への欲望かもしれない。女なら誰でも多少はそんな欲望を持っている。恋愛ドラマを書くときに、私がガソリンにするのはまさにそれだ。ドラマを書くことは半分は夢を生きることだから、一本書き終えたときには、自分の欲望が幾分かは解消出来ている気もしている。<br /><br /> 先日、家の前の坂道を海から遠ざかる方向に、山の上へ上へとくねくね曲がりながら登っていったら、思いがけず海を見渡せるポイントを見つけた。<br />めったに人も通らない林の中の道で、その林の途切れたところに、突然荒れ野が開いて海が遠くに広がっている。そこに海があるとも思えない場所に開けている海は、まるで夢の中で見る海のように現実感が無く、美しくて少し不気味な感じがした。<br /><br /> 帰宅後、我が家のベランダから望める２センチほどの海（があるはず）の隙間を眺めたら、前とは少し違って見えた。ここからある日、海が押し寄せてこないとも限らない&hellip;&hellip;そんなふうに見えた。<br />もしかしたら、この小さな、見えもしない海に惹きつけられて、私はここを住処に選んだのかも知れない、そんな気がしてきた。<br /><br /><span style="font-size: small;">（Oggi2009年11月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ご意見はコメント欄にご記入ください※<br />※      浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへのメッセージはコチラ</a></strong></span><br /> <br />
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<item rdf:about="http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361334.html">
<title>人はなぜ親離れするのか。</title>
<link>http://taeko-asano.oblog.oggi.tv/archives/361334.html</link>
<description>近頃、母には「娘」を、娘には「母」を感じるようになった。二十代の頃は、自分にとって自立が大きなテーマだった。学生の頃は「自立しなくちゃ」と、頭の中でだけ一生懸命考えていたものだったし、結局、就職せずに申し訳程度のバイトで小遣いを稼ぎながら実家にいた二十代...</description>
<dc:creator>taeko_asano</dc:creator>
<dc:date>2010-04-22T19:46:27+09:00</dc:date>
<dc:subject>恋せよオトメ。</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<em>近頃、母には「娘」を、娘には「母」を<br />感じるようになった。<br /></em><br /><br />二十代の頃は、自分にとって自立が大きなテーマだった。<br />学生の頃は「自立しなくちゃ」と、頭の中でだけ一生懸命考えていたものだったし、結局、就職せずに申し訳程度のバイトで小遣いを稼ぎながら実家にいた二十代の後半までは、同じ年頃で早く結婚した女友達から「早く自立しなさいよ」と言われて、ちょっと痛い思いをしたりもしていた。<br />二十九になって、ようやく家を出て一人暮らしを始め、まもなく彼氏（今の夫）と同棲するようになり、ほどなくして結婚した。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/e/1/e15fa837.jpg" border="0" alt="201010_1" hspace="5" width="320" height="351" align="right" />今の私は、人は何がなんでも自立しなくちゃいけないなどと、堅苦しく考えてはいない。<br />時期がくれば、なんとなく自立するものだと思う。<br />「自立」と言いながら親離れをしても、頼る相手が親から彼（または夫）に変わっただけという場合もあるだろうし、それはそれで、困ったことだとも思わない。<br />人は程度の差こそあれ誰かに頼らねば生きていけないものだろうし、自立と依存は、一本の線で簡単に<br />区切れるようなものでもないと考えている。<br /><br /> 私には今、六十八になる母と、八歳になる娘がいる。<br />面白いもので、近頃、母には「娘」を、娘には「母」を感じるようになった。<br />そして、自分が親離れをしたんだなぁと、心から感じることが多くなった。<br /><br /> 実家で母と暮らしていた二十代の間、私は経済的には無論のこと、精神的にも相当母に頼っていたように思う。母は外向的で、明るくしっかりした人で、家の中で唯一「常識人」である自分が、人嫌いで生活力に乏しい変わり者の夫（私にとっては父）と、娘（私自身）を支えていくんだと自負しているようなところがあった。「あんたは変わってるから」と、私はよく、母に言われていたものだった。<br />だが、自分の親が客観的にはどういう人間か、本当にわかるのは、親と離れて暮らしてからの話である。<br /><br /><br /><em>娘のもつ「母」の匂いに、<br />私はいつの間にか癒されている。<br /></em><br /> 三十三で長男を産んだとき、母が病院に見舞いに来てくれた。<br />個室ではなく大部屋だったので、カーテンでベッドを仕切った空間に、他の妊婦さんたちの視線を浴びながら母は入ってきて座り、十五分ほど話をして帰った。<br />その時、初めて私はうちの母親が、世間の母親とはだいぶ違うということに気がついた。<br /><br /> <img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/taeko_asano/imgs/f/9/f9c5b5e4.jpg" border="0" alt="201010_2" hspace="5" width="350" height="307" align="left" />母は赤ん坊にあまり興味が無いみたいで、息子を抱いて赤ちゃん言葉であやすようなことは全然しない。短いカットソーにぴったりしたパンツ。二十代と変わらないスタイルを誇示するように座って、今、買ってきたばかりの服の話をして、愛嬌をふりまいて帰っていった。鉄壁のマイペース。いつも明るいということは、他人を全く気にしないということでもある。<br />「お母さんって、実はかなり変わってるじゃん！」と私は、思った。<br />まるで長い眠りから覚めて、初めて母という人を見たように。<br /><br /> 以来、私は母の中に、年齢不相応の子供っぽい部分を多く見つけるようになった。<br />人の話を遮って、自分の話ばかりするところ、場の共通の話題が自分に興味の無い話題だとあからさまにつまらなそうな顔をして、強引に自分の趣味の話題（目下のところは社交ダンス！）に引き込むところ。そして案外あまえん坊なところ。<br /> 母にしてみれば、自分が変わったなどとは思ってもいないのだろう。<br />一面、それはその通りなのだ。母は昔から子供っぽい人だったのだ。近すぎて、私には見えていなかっただけで。<br /><br /> 一方、八歳になる娘の方は、近頃、めっきり大人びてきた。<br />たとえば先日。大事にしていたパーティー用のパンプスを夫にゴミと間違えて捨てられてしまい落ちこんでいた朝のことだ。娘が夫を?り、言ってくれた。<br /><br />「ママを泣かせちゃダメじゃない。私のお小遣いで、靴、買ってあげるよ」<br /><br /> 娘をもって知ったことだが、どんなに幼くとも、少女の中には、「女」と「母」の要素がある。<br />娘のもつ「母」の匂いに、私はいつの間にか癒されている。<br /><br /> 人がなぜ親離れをするかといえば、生きるために親が必要じゃなくなるからである。<br />すると、現金なもので、親の欠点がよく見えるようになる（男女の恋の場合も、実は同じようなことが起こる）。<br /> 女の子の成長はとても早いから、今は無条件に私の味方をしてくれている娘も、じきに私をみおろす目線をもち始めるだろう。その日はそう遠くないかもしれない。そのときに、あまり恥ずかしい母親にはならないように、気をつけていようと思う。<br /><br /><br /><span style="font-size: small;">（Oggi2009年10月号掲載　イラスト／大橋美由紀　本誌デザイン／十時かの子）<br /><br /></span><a class="twitter-share-button" href="http://twitter.com/share">Tweet</a><br /><script src="http://platform.twitter.com/widgets.js" type="text/javascript"></script><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>※この記事に関するご感想・ご意見はコメント欄にご記入ください※<br />※      浅野妙子さんへのメッセージは、メールにてコチラにお送りください。<br /> <a title="浅野妙子さんへのメッセージ" href="mailto:info@oggi.tv" target="_blank">≫浅野さんへのメッセージはコチラ</a></strong></span><br />
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